| 窪津さんご夫妻とお友だちの写真 5月11日の40年の集いに参加された窪津さんご夫妻と同じあるぜんちな丸で62年に来伯されたご近所のお友だち(お名前を失念しました)の3人の写真です。右端のお友だちの方は、やはり62年のあるぜんちな丸(第13次航?)で来伯された四十年選手ですが、同船者ではないが同じあるぜんちな丸で来伯したことから懐かしくて窪津さんご夫妻の誘いに応じて参加させて貰ったとの事でした。窪津さん御夫妻に付いては神戸の移住乗船記念碑除幕式にご夫婦で参加されておられ寄稿集でご紹介させて頂いております。
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リオデジャネイロ市にお住みの田中正雄さん愛知県出身御夫妻。 5月の12日の四十年の集いにわざわざリオデジャネイロから参加して下さった田中正雄さんは、産業開発青年隊のお一人で奥様と共に参加されました。ご夫妻の仲の良い写真です。田中さんは、リオ市メイエルに診療所をお持ちのFISIOPERATEUTA(針、指圧を中心とした治療士)として20数年活躍しておられるとの事でした。リオの診療所の住所は、RUA CONSTANCA BARBOSA,188 Sala206 MEIER
RIO de JANEIRO 電話/FAX 021-2597-2871です。
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| あるぜんちな丸をバックにサルバドールの港で撮った新聞班の記念写真。 多分パナマ運河を越えてクリストバルの港に入った時?の新聞班のあるぜんちな丸をバックにした記念写真だと思っていたら写真提供者の龍川いく子さんからこれは、ブラジルのサルバドールで下船された時に記念に新聞班のメンバー皆で撮った大事な写真であるとの説明を受けましたので訂正して置きます。左から船内最年少の藤岡和弘さん(北海道夕張郡長沼に在住)、吉田和子さん、吉田美智子さん、龍川いく子さん、川上一刀斎、和田、北田の面々です。
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カラカスの町で撮った新聞班の面々。 ヴエネズエラの外港ラグアイラの港に立ち寄った時に皆でタクシ、バス等を使用して山の上の首都カラカスの町に繰り出しました。当時を思い出して語るいく子さんの言によると産業開発隊の北田さんがカラカスの市内バスの中で草履足をバスの座席に乗せているのを黒人の車掌さんに注意され口論となったそうですが、私が関わらない方が良いので皆離れているようにと指示?したとか。全く覚えていない一幕ですがいく子さんの記憶力にはほとほと感心させられます。カラカスの町で撮った(撮影者は私?)の新聞班の面々は、後列左から北田さん、真ん中が吉田美智子さん、右端が船内随一のダンデイーで少々ニヒルな面も見せていた野球移民の一人川上一刀斎(現在日本の所在を調べていますが未だつかめておりません)、前列が龍川いく子さんと吉田和子さん(何れも当時の性)です。新聞班は、何時も金魚の糞?をぶら下げて何所にでも足を運んでいたようです。言葉の通じない市内バスで喧嘩を始める北田さんの面影は現在でも一杯入ると元気に成る癖として今も残っているのでしょうか??
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| こんな写真が見つかりました。 あるぜんちな丸第12次航は、途中オランダ領のキュラサオ島に寄港しました。船内ニュースでもバナナが安いが余り食べ過ぎないようにとの注意事項を掲載しましたが、このキュラサオに下船して町を探索の途中、バナナの1房10本を購入し吉田和子さん(旧性)、龍川いく子さんと私の三人でこの10本のバナナを3本と3分の一づつ一度に平らげたそうです。私は覚えていないのですが見つかった写真を見ながらのいくちゃんの説明ですので間違いはなさそうです。キュラサオの町でバナナをたらふく?食べたあとの記念撮影らしいのですが如何にも若々しい両手に花の幸せ一杯の『こんな時も本当にあったのか』と自分でも不思議がる写真です。青春の思い出大事にしたいですね。
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5月12日の夜寛ぎの一時に撮った写真の1枚です【続】 現在ビットリアにお住まいでお父さんの昌治さんのお世話もしておられる新聞班の主力ガリ版切りを手伝って戴いた藤井美智子さん(旧性吉田)を挟んでサンパウロで旅行社、出稼ぎ斡旋業を女手一つで切り回している横井企画社長の横井和子さん(旧性吉田)とポルトアレグレから同行してくれた愛妻けい子さんです。
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| 5月12日夜の寛ぎの一時に撮った写真の一枚です。 5月12日の『私たちの40年!!』の集いの終った夜、ブラジリアへ帰る吉田兄弟と定宿バロンルに宿泊する私たちの事を気遣って戴き、吉田四兄弟姉妹に龍川いく子さん、小山徳さんがわざわざ集まって呉れて居酒屋一茶の畳の間で寛ぎ内輪の打ち上げ式を開きました。今回の行事は、いくちゃん、和ちゃん、小山さん等の協力が無ければ空中分解する場面もあっただけに旨く遣り終えた満足感はま又格別で冷たいビールが喉を潤してくれた。写真は、全員で撮れなかったので部分的になってしまったが、龍川いく子さんを挟んで左から和田、いくちゃん、吉田武弘さんです。
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ブラジリアのFURUTARIA YOSHIDAの吉田武弘さん御夫妻。 ブラジリアで果物店FRUTARIA YOSHIDAを奥様と共同経営している吉田武弘さんが四十年祭に参加の際に連邦府ブラジリアで発行さえたガゼッタ・メルカンチール紙の2001年6月5日付けROTEIRO12ページに掲載されている奥様と一緒の写真を提供して頂きました。奥様は富士子さんですがブラジリアのお客様からはドナ・マリアと呼ばれて親しまれているそうです。この果物店をブラジリアで奥様と始めてから既に29年になるとの事で買い付けが厳しく珍しい果物も含め最高級品のブラジルの果物を並べており、最初のお店が手狭になり現在の店に数年前に移ったとの事。季節のあらゆる果物、ブラジリアでは珍しい果物等を自分で選択購入し電話での出前も含め朝7時から夜の7時まで12時間営業でお客様に喜ばれている。武弘さんの買い付けの目の厳しさと奥様の客扱いの良さで店は隆々と栄えていますが、今回の四十年祭等にお二人揃って出かけられないのが困るとの事です。ブリジリアのSUL 207番街のお店の前で自慢の果物を持った御夫妻の写真。広告雑誌より転載。
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| 北海道出身の吉田栄一さんご夫妻の写真。 北海道出身の吉田栄一さんは、現在スザノにお母様、妹さんの洋子さんご家族と隣り併せで住んでおられ毎日サンパウロのリベルダーデにある旅行社まで通っておられます。『私たちの40年!!』の集い計画段階でも何度か会議に出席して下さり当日は、名エンタテイナーとして皆を楽しませてくれました。会場での活躍が一段落着きネクタイを外し寛いだ所をご夫婦で撮らせて貰った一葉です。有難う御座いました。
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静岡県出身の産業開発青年隊の小島忠雄さん1941年6月21日生まれ御夫妻。 静岡県出身の産業開発青年隊の小島忠雄さんは、現在グァタパラ移住地に住んでおられ姫マッタケ(アガリックス)の栽培を中心にした農業を展開されておられます。今回の四十年祭には、大事なお忙しい農作業を一時停止され駆けつけて呉れた次第です。会場で記念写真を撮らせて頂いた一葉です。
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