| あるぜんちな丸第12次航神戸移住センター記念写真 私たちのあるぜんちな丸第12次航は、681名の同船者が居たことから乗船記念写真は横浜と神戸に別れそれも家族中心に何回もにも分けて撮られたようですが宮崎県出身の谷 出治さん一家7人が入った写真を現在レシフェーに住む谷 浩広さんからお借りしました。既に亡くなられた谷 出治さんとお母さん(薫さん)の元気な姿もあり懐かしい写真です。
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41年前の神戸移住センター屋上で撮った谷4兄弟。 最近、東北伯のリシフェーに住んでおられる谷 浩弘さんを尋ねる機会がありました。レシフェーのBOA VIAGEMの海岸沿いのレストランでムケッカの鍋を突きながら昔話を楽しみながら楽しい時を過しましたがその時に見せて頂いた41年前の神戸移住センターの屋上で撮った谷4人兄弟の貴重な写真です。左から充弘君、けいこさん、清子さん、浩弘君の4人です。
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| 丸紅オフィスのある街 サルバドール(ブラジル) ブラジル東北部バイア州の首都サルバドルは人口150万、1549年に時のブラジル総督トメ・デ・ソーザによりブラジルの首都と制定されて以来、リオデジャネイロに遷都する1763年までの200有余年、当国の首都であったところである。日本の京都に以って総数166の教会があり、その一つ一つを巡歴すると優に1年はかかるといわれている。
この町の特徴として町そのものが2地域に分かれ、俗に“下の町”といわれる港に隣接する金融・商業地域と“上の町”といわれる崖の上の商業・住宅地域の二段構造となっている。その高度差が75メートルあるところから、上下の町を結ぶ交通機関として垂直式のエレベーター“エレバドール・ラセルダ”と、傾斜したケーブルカーの両者がある。
また、その昔アフリカ(ナイジェリアおよびアンゴラ)から黒人奴隷が連れて来られた影響で、400余年を経た今日なお、この町には圧倒的に純黒色あるいは半黒色の黒人が多く、とくにアフリカをそのルーツとする宗教・文化が強く感じられる。
写真はサルバドルの顔とも言うべきエレバドール・ラセルダ(右のベージュ色の建物)と民芸品市場であるメルカード・モデーロを背景に、当地の民族衣装をまとうバイアーナ(バイア州の女性)たちである。実は彼女たちはサルバドル出張所とSIBRA社(当社も出資している地元合金鉄メーカー)の女子社員で、この写真のために盛装してくれた晴れ姿なのである。
(写真と文:内山 勇/丸紅ブラジル会社副社長)
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58年前の写真です。 三菱重工南米事務所に勤務されている八尋祐一さんの奥さんのお母様が幼少の時の写真をお借りしました。白いブラウス姿の子供さんが主人公です。マリリア市の近郊にあったパカエンブという日本人移住地の1945年の写真だそうです。
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| 着伯41年をささやかに祝いました。 昨年の40年は、着伯後初めての集いで多くの同船者が集まり賑わいましたが今年は2月に園田昭憲さんの工場落成式に合わせて早めの41年のお祝いを済ませていましたので本当に内輪でささやかな集いとなりました。
参加者は後列左より園田、小山、龍川、吉田、滝谷、和田前列は左より小原、吉田、城島の面々です。この内5人が船内学校の同級生で船内団塊世代?を形成している仲良しです。
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船内学校同級生? 着伯41年を祝って5月9日にサンパウロで中華料理の円卓を囲みましたが船内学校の同級生五人が記念写真を取りました。左から小原美香さん(1953年)、吉田和子さん(1947年)、龍川いく子(1948年)、園田昭憲(1947年)、今回初めて参加された城島サユリ(1948年)の船内学校同級生です。
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| 1973年3月27日サントス着の最後の移民船にっぽん丸。 船による最後の移住者285名を乗せたにっぽん丸がサントス港に着いたのは1973年3月27日であった。満30年を経過したのを記念してサンパウロの静岡県人会の講堂に3月30日に集まり着伯30周年を祝いました。ジャーナリストとしてこの最後の移民船に乗り込んだ、現ニッケイ新聞の東京支局長の藤崎康夫さんは貴重な写真を保存しておられるようでにっぽん丸のサントス港到着時の写真をお借りしました。
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昭和35年3月2日神戸出帆あるぜんちな丸乗船者渡航記念 あるぜんちな丸第6次航昭和35年3月2日神戸出帆、3月4日横浜出港728名の神戸出帆渡航記念写真を16歳でこの船に乗り込んで来た伴 紀久雄さんに提供して頂きました。
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| あるぜんちな丸ご乗船記念 昭和35年3月4日横浜出帆 あるぜんちな丸第6次航で来伯された伴 紀久雄さん(63歳)からこの写真を提供して頂きました。伴さんは、当時16歳で元気いっぱい意気揚揚と来伯され1972年ブラジル住友商事に入られ2000年まで機械畑で活躍されたとの事で現在は三菱重工の工作機械販売指導員としてコンサルタントとして走り回っておられます。伴さんには次の昭和35年3月2日神戸出帆あるぜんちな丸乗船者渡航記念写真も提供して頂いております。伴さん有難うございます。
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昭和37年4月2日神戸出航あるぜんちな乗船者渡航記念 花嫁移住の武吉民江さん(愛媛県出身)よりお借りした37年神戸出航前の記念写真です。名古屋より西の県からの移住者は、神戸に集結し覚えておりませんが(多分横浜から乗船したから?)今東光和尚の講話もあったとの記録が残っていますが、最後の大型移住船の送り出しとして賑わったのでしょう。武吉さん初め神戸から乗船された花嫁移住の皆さん全員と産業開発青年隊の神戸乗船者の姿が見えます。大き目のサイズで掲載しておきます。
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