| 大阪出身の産業開発青年隊の小山徳さん1939年10月7日生まれと吉田寛さん。 大阪出身の小山徳さんは産業開発青年隊のお一人長年ブラジル日本電気(NEC)に勤務され最近定年退職され現在は悠悠自適の生活を楽しんでおられ今回の四十年祭実行委員のお一人として目立たぬ縁の下の力持ちとして皆を纏めて呉れた功労者。四十年祭の終った夜にブラジリアに帰られる吉田兄弟他との寛ぎの一時を過された時に撮った吉田寛さん(ブラジリアの連邦企画省勤務)とのツウショットです。
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北海道出身の岩本 洲さん御夫妻と斎藤良夫さん。 北海道出身の岩本さんご一家は、家長の岩本秀次さん1909年5月7日生まれ(死亡)とフクヨさん1917年10月10日生まれ岩本かずさん1904年1月1日生まれ(死亡)長女の幸子さん1939年2月20日生まれ(お母様のフクヨさんとリオにお住まい)長男の洲さん1942年2月25日生まれ、次男の攻司さん1945年3月10日生まれの6人家族としてリオ州のフンシャール移住地に入植され現在も長男の洲さんがフンシャール移住地で果樹を中心とした農業経営をしておられます。幻の船内新聞と言われていたあるぜんちな丸第12次航の船内ニュース さくらを10数部ほぼ完全な形で保存されていた事こら今回の『私たちの40年!!』企画の大推進者としての功績を建てられた同船者で元JICAの斎藤良夫さんがフンシャールを訪問された時にこの船内新聞を預かって来られました。写真はその時に撮られた左から斎藤良夫さん、弘子夫人(旧性吉田)と洲さんのものです。
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| 北海道出身の龍川徹鎧さんと信子さん。 北海道出身の龍川徹鎧さん1914年4月27日は、亡くなられた妻のよし子さん1920年9月15日生まれと長女一恵さん1945年9月18日生まれ、次女のいく子さん1948年7月28日生まれ3女、4女の双子の光子さん信子さん1950年10月19日生まれそれに長男の瑞さんの7人家族でサルバドールのクビチエック移住地に入植されその後サンパウロに移られました。長男の瑞さん、3女の光子さんが亡くなられていますが、徹鎧さんは四十年祭参加の男性最年長者として御挨拶頂いた最長老で4女の信子さんとご一緒の写真を掲載させて頂きます。双子の光ちゃん、信ちゃんは船内でもマスコットの様に可愛がられ元気に走り回っていましたが、光子さんは亡くなられ光子さんそっくりのお嬢さんが受付その他を手伝って呉れていました。
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鹿児島県出身でパラグアイに入植された園田さんご一家。 パラグアイに入植された鹿児島県出身の園田一家は、総勢9名の大家族でした。家長の園田道男さん1930年11月25日生まれ奥様のアヤ子さん1934年3月25日生まれの亡くなられたご両親孝さん1898年5月21日生まれとツギさん1908年2月15日生まれに弟さんの光雄さん1940年6月17日生まれ(エンカルナシオン在住)義人さん1944年一月18日生まれ昭憲さん1947年12月13日生まれ(サンパウロ市在住=四十年祭実行委員)八郎さん1950年9月13日生まれ(イグアス移住地でJICA職員として活躍中)及び長女のさゆりさん1960年11月25日生まれ(帰国、日本在住)の皆さんです。写真は四十年祭参加の為に遥遥パラグアイより参加された3名とサンパウロに住んでおられる園田昭憲御夫妻です。左より道男さん、八郎さんの息子さん、八郎さん、昭憲さんと奥様です。
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| 北海道出身の吉田家の皆さんの四十年祭での記念写真。 北海道出身の吉田さん一家は家長の吉田一市さん1911年9月20日生まれがお亡くなりになっていますが吉田カッエさん1918年8月25日生まれ、船内新聞編集で活躍された長女の洋子さん1939年2月12日生まれ、次女の弘子さん1941年7月22日生まれ(フンシャル移住地在地在住の岩本さんと同船者同士の結婚)、3女の雅子さん1949年8月15日生まれ(現在ベロオリゾンテ市にご主人の青木さん住んでおられる)、4女の幸子さん1952年1月27日生まれ(帰国されて日本に住んでおられる)、長男の栄一さん1944年4月22日生まれは、サンパウロ市で旅行社の共同経営者として活躍四十年祭でもエンタテイナーとしてカラオケ等で活躍された。次男の敏一さんは、1947年2月24日生まれで今回参加出来なかったがリオ州のノボーフリグルゴで果樹園を経営されている。写真はケーキカットをされた吉田カツエさん84歳を囲んで左から栄一さん、雅子さん、カツエさん、洋子さん、弘子さんのお元気そうなお姿です。
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佐賀県出身の吉田4兄弟の四十年祭に撮った記念写真。 佐賀県出身の吉田一家は、家長の吉田昌治さん1915年8月27日生まれ、先年亡くなられた吉田サダ子さん1919年一月22日生まれのお子様として船内新聞で活躍された美智子さん(藤井)1942年2月20日生まれ、次女の和子さん(横井)1947年12月20日生まれ、長男武弘さん1945年1月30日生まれ、次男の寛さん1949年12月27日生まれ、3男の明さん1953年12月27日生まれの合計7名でグァタパラ移住に入植されその後ブラジリアに転出現在も武弘さん、寛さん、明さんは、ブラジリアに住んでおられ美智子さんはビットリアにお住まいで和子さんはサンパウロで旅行者を経営しておられます。家長の昌治さんと3男の明さんが残念ながら四十年祭に参加出来ませんでしたが、4兄弟が久しぶりに勢揃いした記念写真です。左から和子さん、美智子さん、武弘さん、寛さんです。
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| アバエテツーバにお住まいの勝山 巌さんのお宅。 勝山 巌さんは、産業開発青年隊のお一人で温かい所に住みたいとのご希望で北伯に移られ第2トメアスー移住地に住んだ事があるとの事ですが現在は、ベレンの対岸までフェリーで渡り更に数時間車で行かないと着けないアバエテツーバと言う町に住んでおられるとの事で今年の1月にベレン、トメアスを訪問した際にベレンからタクシを頼みお会いしに行きました。残念ながら直接お話を伺う事が出来ず文字通り「門前払い」を喰いましたが後でお聞きすると変な広告を理由に金集めに来た輩と思ったとか断りなしにカメラを向けたとか頑なに面会を謝絶され30分ほど押問答の後諦めて帰る前に無断で撮らせて頂いた新築のお宅です。勝山 巌さん1936年9月17日生まれの65歳、建築技師の資格をお持ちとの事でトメアスー文化協会の改造等も手掛けられた功績を残しておられるとの事で写真のお宅も御自身の設計で何年もかけてご自分で建築された家とかでつい最近引っ越されとの近所の人の情報でした。
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同船者三夫人(手前から田中、三宅、西村)の記念写真。2002年1月21日夜。 田中夫人については前述参照。三宅夫人(旧性佐藤、秋田県出身1942年生まれ)は、家長のお父さん佐藤正一郎さん1916年生まれ、お母さんの邦子さん1922年生まれ、弟さんの正邦さん1947年生まれ、妹さんの薫さん1948年生まれ同じく妹さんの恵美子さん1951年生まれの6人家族でトメアスー移住地に入植され現在もトメアスーに住んでおられる。
西村数子さん(旧性篠崎福岡県出身1949年生まれ)は、
家長のお父さん篠崎清さん1916年生まれ千代子さん1918年生まれ、お兄さんの清人さん1944年生まれ、陶美さん1946年生まれ妹の鶴加さん1955年生まれおれにおじいちゃんの定雄さん1897年生まれの7人家族でモエマ移住地に入植されました。
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| アマゾンの同船者5名との会食。田中さんのレストランでの歓談とビデオレター取材風景。 アマゾンのベレン市内の田中さんのお店に田中さん御夫妻と次男の博泰さんと奥さん、着伯後モエマで生まれた長女、トメアスー移住地より出てきて下さった三宅昭子さん(旧性佐藤)、ベレンに住んでおられる西村数子さん(旧性篠崎)にカメラを向けている岡村さんです。
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ベレン市内でRESTAURANTE E LANCHONETE ORIENTALを経営されている田中常幸さん。 田中常幸さん1937年生まれ熊本県出身は、奥様の智恵子さん1936年生まれ、長男滋啓さん1958年生まれと次男博泰さん1959年生まれそれに構成家族として奥さんの弟さんの大平徳光さんの5人家族でベレンで下船モエマ移住地に入植されました。写真は、今年1月21日にベレン市内の田中さんのお店でのアマゾン同船者会の一コマです。
野球帽が良く似合うご機嫌の田中さんを囲んで和田(手前)と岡村さんです。
田中さんから最近、掲載の写真数葉と共に「家内共に体調が良好でありませんので残念ながら同船者会に出席致しません。どうか同船者の集まりが盛大でありますよう祈ります。尚、同船者の皆様の御健康を祈ります。田中常幸」とのお便りを受け取っております。田中さんのお店の住所等は下記の通りです。
RESTAURANTE E LANCHONETE ORIENTAL
Av. Pedro Alvares Cabral,2031-B(Proximo Av. Dalva)
Maranbaia Belem-Para TEL (91)231-2667
Obs.: Ligue e faca o seu pedido, a etrega e gratis と書いておりますので無料の出前もやっている様です。ベレンに行かれる機会があれば是非簡単な日本食も用意して呉れる田中さんのお店にお出かけ下さい。
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