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2003年訪日における写真集
9月6日(土)より関西入りした。待望の18年振りの優勝を掛ける阪神タイガースの応援に甲子園に出向く。阪神VS横浜1塁特別指定席イエローシートの入場券を3ヶ月も前から確保して貰い池田の叔父さんと息子さんの3人で出かける。1回裏に2点先制、今日は楽勝と思いきやその後が繋がらずルーキ杉山を見殺し最後は3−7で負け戦。7回の風船、負けても唄う六甲颪と結濠yしんだが物足りない試合でした。ボールがレフとスタンド外野の塀に辺り戻って来たのに塁審がホームラン宣言、星野監督が飛び出しアワヤと期待したのですがジェスチアーだけで覚めていたようです。
写真は、甲子園観戦風景です。



2003年訪日における写真集
9月4日(木)午後には、日本ブラジル交流協会主催のブラジル公演会が開かれ平日の午後にも拘らず多数の方が来て呉れました。代々木のオリンピックセンターでのビデオと講演会の後の懇談会とその2次会的な会合が新宿で行われました。日伯交流協会の多くの元研修生が集まって呉れ色々と話が弾む。この2次会に合わせて大阪から上京する嵐閧ナあった女房が出て来なかったことから多くの参加者が『和田さんだけなら出て来なかったのに』と文句がでた。特に4期生の16人を中間研修中に我が家に迎え準備したカレライスの飯が足らずに何度も何度も炊かされて苦労した女房に一言お礼を言いたかったとのことで残念がられる。
写真は2次会の新宿の店で撮ったもので日伯交流協会の藤村 修理事長(民主党選出代議士)の顔も見られます。



2003年訪日における写真集
日本との繋がりの一つに桐井さんにご紹介頂き入会したHSLN〔ハッピシニアーライフネット〕のMLがあります。9月3日(水)に新宿で歓迎オフ会を開いて呉れました。HSLN主宰の柿沼さん初め20名の参加者がありました。あるぜんちな丸同船者の稲見君以外は初めてお会いする方でしたがMLを通じての交信をさせて頂いて居ただけに旧知の友を感じる事が出来ました。来年4月にはブラジルオフ会をイグアスの滝とポルトアレグレで実施する嵐閧ノなっており再開できるのを楽しみに散会しました。2次会は昔懐かしい新宿の歌声喫茶〔ともし火〕。時代を超えた娯楽、ブラジルに移住後に始まったカラオケ時代を知らないだけに歌声喫茶は、懐かしいものでした。写真はオフ会報告書に掲載されているものをお借りしました。



2003年訪日における写真集
9月1日(月)から東京に出て私は便利さと昔の縄張り?でもある新宿のワシントンホテルホテルに泊まり女房は、一足先に大阪に向かう。9月2日(火)は、吉祥寺のベビーグランドと言う簡単なブラジル食と美味しいカイピリニアを飲ませて呉れる店に丸紅ブラジル会社に勤務していた堀川さん、杉井さん達が集まって呉れた。ポルトガル語が飛び交う気楽な集まりで日本で飲むカイピリニアが格別。写真は、堀川さん、杉井さんあるぜんちな丸同船者の稲見君に野口みどりさんの面々です。



2003年訪日における写真集
日本到着は、8月30日(土)の午後でした。時差調整も兼ねゆっくりしたらとの誘いを受け早稲田ゼミナールと言う濫校からの友人坂本君のお宅に草鞋を脱いだ。千葉の大網に住んでおり翌日は外房の夷隅郡に住んで居られる水野栄次先輩(初代丸紅ポルトアレグレ出張所長)のお宅を訪ね昼食を挟み歓談。勝浦の鯛の裏まで足を伸ばす。日蓮上人生誕の寺とかを訪問する。写真は、水野さんのお宅の庭で撮ったものです。7年前に植えて頂いたパラナ松の種が1本だけ根付き大きく成長していて嬉しく思う。



中日新聞掲載記事(松田さんからのお便り)
丸紅ブラジル会社勤務当時の仲間の一人で現在浜松周辺に住んでおられる松田憲彦さんから中日新聞に掲載された記事が目に留まったとの事で送って呉れました。松田さん有難う御座います。

お元気ですか?
今年四月と五月にかけて30日ほどブラジルに滞在していました。
帰りにミラノにより時差を少し楽にして帰ってきました。
ご存知だと思いますが。こちらの中日新聞に載った和田さんの記事を添付します。
                          松田憲彦



三菱重工の記念博物館の中にもあるぜんちな丸の写真が
2003年9月18日タクシーを借り受けて長崎の主要スポットを廻りました。1000万ドル?の夜景が見られるという稲佐山の頂上に上り後は運転手さん任せの観光コース平和公園から始まり如己堂、浦上天主堂、山王神社の1本足鳥居、日本26聖人の殉教地、眼鏡橋、オランダ坂、大浦天主堂、グラバー園等を説明付きで廻った為に嵐閧フ博多行きの列車に乗り遅れたが何とか7時過ぎには新大阪に着くことが出来ました。長崎市は、サントス市と姉妹都市として提携しているとの事で市内の永井博士の如己堂の有る通りがサントス通りと名付けられており市民に親しまれており、平和公園の広場にもサントス市より贈られた平和祈念碑があった。グラババー邸の中に有る三菱重工の記念博物館の中にもあるぜんちな丸の写真が飾られていた。
写真は、博物館で見つけたあるぜんちな丸の写真です。



ブラジル・ワインの総本山 ベントゴンサルヴェス
サンパウロのレジャー情報誌Pitoresco=ぴとれすこ(ショーエイ出版社、高橋昭社長)という月間誌がニッケイのホテル等に置いてありサンパウロに出張する楽しみはこのPITORESCOを手にして今回は何が紹介されているかを楽しみにしていたのですが、最近は見かけなくなり残念に思っている一人です。2001年発行の20号に旅行記として牧野 久蔵さんが書かれた掲題のブラジル・ワインの総本山 ベントゴンサルヴェスという一文を4月16日からブラジルに来られるHSLNのブラジル訪問団(柿沼 實団長)の皆さんに是非読んで頂こうとの思いでお借りしました。
数あるワイナリーの中、イタリア式のコロニア風昼食も含めて是非皆さんをご案内したいと思っているカーザ・ヴァルドゥーガの紹介文もあり現地の事前調査にも行って見ました。写真は、その時にとった簡素なワイナリーの入口風景です。



戦前初代『ぶらじる丸』 辻 重雄さん提供
ぶらじる丸.jpg
1939年8月竣工・三菱長崎
総トン数 12752トン
主機 D16500馬力
航海速力 21.5ノット
船客定員 1等101名、特3 138名、3等662名
1942年8月5日 北緯09度51分東経150度46分
(トラック島北西240k付近)雷撃沈没



戦前初代『ぶえのすあいれす丸』 辻重雄さん提供
ぶえのすあいれす丸.jpg
1929年10月竣工・三菱長崎
総トン数 9626トン
主機 D6000馬力
航海速力 14ノット
船客定員 1等60名、特3 220名、3等856名
1943年11月27日 南緯02度40分東経149度20分
(チンウォン島西方30k)空爆沈没



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