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リオの出羽孝史さんの訃報が届きました。謹んでご冥福を祈ります。
JAL支社長を33年間勤め上げられその後、日系旅行社TUNIBRAのリオ支店長として勤められ先年退職されイタニアンガーゴルフ場でハーフラウンドを楽しんでおられた出羽孝史さんが亡くなられたとの訃報を受け取りました。享年88歳。『私たちの40年!!』寄稿集に沢山書き込みを残して下さっています。出羽さんを偲んで出羽さんが書き残された寄稿を下記に収録して置きたいと思います。イタニアンガゴルフクラブで出羽さんとハーフをご一緒するとの約束を果たせぬ間に逝ってしまわれたとの事、大変残念です。人の命には限りがあるものと分かっている積りですが、私より先に逝かれる方を見送る度に寂しさを感じます。軽妙な出羽さんの文が届かなくなってどうしておられるのかと気になっていた矢先の訃報、ご冥福を祈りたいと思います。
写真は、既に寄稿集に掲載しているものの内で一番気に入っている私自身がリオで出羽さんとお食事をご一緒した時に撮らせて頂いたカリオッカ広場の花屋さんの前での1枚を使用させて頂きます。


【ビデ】 嘘のような本当の話! TUNIBRAリオの出羽孝史さんの寄稿。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=443

今回、サンパウロの日本商工会議所コンサルタント部会のメイルリスト BATEPAPO(口を動かす=おしゃべり)にリオの山下さんに誘われて参加しました。その自己紹介にマカコ・ヴェリオ(年寄りの猿=古狸?)と名乗ったところお前はまだまだ若造と叱られる始末で1933年に12歳で来伯とのことで私より19年先輩の82歳、現在もリオのTUNIBURAで働いておられるとのことで「リオについてどころかブラジルについて知りたければ出羽さんに聞け!」といわれている真性マカコ・ヴェリオ。その出羽さんが書かれた【ビデ】を掲載させて頂きます。適当なお写真をとお願いしたのですが、『年をとるとズボラになり写真は撮らない』とのことですので今年の神戸祭りのサンバの写真をお借りしました。出羽さんは神戸祭りに招待される本場リオのサンビスタを連れて行く親分とか。ご本人の弁は、『神戸とリオは姉妹都市でありまして、震災の翌年、1996年から2001年まで毎年「神戸祭り」にリオのサンバ・チームが参加。最初の年は150名でした。予算の都合で少しづつ人数が減り、2001年は15名でしたが、毎年私が”サンバの親分”(世話役)として同行。
私は山口県の萩の生まれでありますが、港町神戸は第二の故郷を感じる都であります。昨年と今年は神戸市の財政上の問題(大変な赤字のようです)でリオのサンバ・チームの招聘はありませんでしたが、来年は姉妹都市提携の35周年にあたりますので、「神戸祭り」に本物のカリオカ・サンバの披露。ひそかに期待しております。』

オリンピック・リオ開催は何時実現するか?出羽孝史さんの寄稿
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=634

リオにお住みの元日本航空ブラジル支社長を辞した後も旅行社のTUNIBRAリオ支店で現役として活躍しておられる出羽さんから掲題の原稿を送って頂きました。既に出羽さんが書かれた【嘘のような本当の話】は、寄稿集283番目に掲載しておりますが、アテネオリンピックの裏話とも言える「リオ2004年」キャンペンに破れたリオ市民は、北京の次の2012年でも一次予選で敗退が決定しているとのことで2016年あるいは2020年には実現するのでしょうか?サッカーのワールドカップ同様、ヨロッパと南米で交代それにアジア、アフリカを加えて各大陸で開催といった五輪大会にして南米から始めてのリオオリンピック大会を実現させて欲しいですね。サンパウロのJETRO所長、桜井さんからのコメントも寄せられておりこれも一緒に掲載して置きます。
写真は、リオのポンデアスーカール(砂糖のパン)が見えるボッタフォーゴの海浜です。

【運動と健康】 リオにお住まいの出羽 孝史さんの寄稿。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=673

何時も『私たちの40年!!』HPに暖かい目を注いで下さっているリオ在住の大先輩出羽孝史さんより掲題の寄稿を頂きました。ブラジルに長年住んでいて出羽さんを知らないのはもぐりであると言われていますが、未だに直接お会いした事がなく次回リオ出張時にはなんとしてもTUNIBRA社を訪問して御尊顔を拝する栄に浴したいと思っています。1933年に12歳で家族と共に移民、JALリオ支店長を辞した後もブラジルに置ける名門旅行社TUNIBRA社のリオ支店に83歳になられる現在もお勤めしておられます。
写真は、お会いした時に撮らせて頂く積りですが、今回もリオの写真を使う事にしました。コルコバードのキリスト像です。

【暑い日】(ニューデリの事故) 出羽孝史さんの寄稿
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=715

リオにお住みの出羽孝史さんをTUNIBRAのリオ事務所に訪ねました。全館冷房のビルにある事務所で色々興味あるお話も伺え、何れご披露したいと思いますが、昼食に誘われビルを出ると真昼の強いリオの日差し『流石リオは暑いですね!』と云ったところ『今日はそれ程でもないよ、私の人生で本当に暑い思いをしたのは忘れもしないニューデリの暑さだよ』と当時の思いを書き綴った原稿を送って下さいました。旅行業界、特にJAL勤務33年の出羽さんならではの体験記、今はないパンナムが一等席を無料で提供して呉れたり搭乗券なしでブラジル国内を棺と共に飛ぶ話、実際に起きた史実の一部だけに興味深く読ませて頂きました。1972年の航空機事故ですが当然多きなニュースとして当時話題になった話でもありこんなに身近におられる出羽さんが深く関与していたとは夢にも思いませんでした。今後も月に一度はさり気無い文章を書き続けて送って下さるとの事ですので楽しみです。
写真は、強い日差しのリオの中心地、カリオッカ広場の前で撮らせて頂いた一枚です。

リオにお住まいの出羽孝史さんの寄稿 【牛肉】です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=727

老化?を防ぐ一つの方策として月に一つは物を書く事を習慣付けておられる今年84歳になられる出羽さんは、リオの老舗旅行社TUNIBRAで現役として毎日多くのお客様のお世話をしておられます。週末には9ホールのゴルフを楽しまれ健康に注意しながら平穏な日々を生涯現役で過ごして行くのだと意気軒昂てす。長い間の人生経験は豊富でまだまだ頭の中には書きたい事、書き残して置くべき事が詰まっているようでこれからの寄稿が楽しみです。1月の【イデンチダーデ】、2月の【イパネマの娘】も一緒に収録させて頂きました。
写真は、リオでお会いした時に撮らせて頂いたものです。

人種差別??? リオの出羽 孝史さんのコラムです。 
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=854

久し振りに出羽さんからのコラムが送られて来ました。日常生活に即した思い白い話です。ブラジル全国何処にでも居るようなペルナンブカーノ、バイヤーノ、ミネイロ、カリオッカ、パウリスタ、ガウショー等々その出自と言うか出身州の名前で呼ばれている勤労者の一人が仲間の黒人を示して彼らは天国では門前払いだと嘯く話。
ブラジルで普及している日本食の代表的な握り寿司を握るのは日本人でないと喰う気がしないと言われる日本人の話し。これは人種差別??
寿司の話ならとプルデンテに住んでおられる秋山章子さんの飛び入りコメントと合わせて新しい寄稿集を開き掲載しました。
今回の写真は、出羽さんでなく秋山さんの今年4月に東京のオフ会で撮らせて頂いた一枚を使用させて頂きました。
昨夕、出羽さんと直接電話でお話させて頂きましたが、お元気そうでした。イタニャングアアのゴルフ場でハーフをご一緒するとの約束があるのですが何時果たせるでしょうか。少し生活速度をスローにしてゴルフでも楽しめる時間を作りたいですね。出羽さんこれからも宜しく寄稿文を送り続けて下さい。

【笠戸丸】 リオの出羽さんの寄稿です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=761

リオの出羽 孝史さんからは毎月随筆(ご本人は雑文と謙遜されていますが)を送って頂いており12月・月までの5回分を寄稿集第504番目に掲載しております。今回の5月分は第1回ブラジル移民を乗せた数奇の船史を誇る【笠戸丸】についての記述を寄せていただいており、これは別個に話題別目次5のあるぜんちな丸(移住船)関係の話題に掲載させて頂くことにしました。
写真は、サントスのアルマゼン15(移住船が付いた桟橋)の出た所にあるカフェーを飲ませるお土産やさんと言うか博物館風の建物に立ち寄った時に見つけた笠戸丸の写真です。

【エコノミー・クラス症候群】 リオにお住みの出羽さんのお便りです。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=705

何時も時の話題を書き綴って下さっているリオの出羽さんからお便りが届きました。
『和田さん、リオの出羽です。「私たちの40年」多くの方々がお楽しみになり、私も楽しませていただいております。これからもどうぞ宜しくお願い致します。雑文をひとつ添付致します。もし宜しかったら、皆さんにどうぞ。』出羽さん有難う御座います。
何時も飛行機を使用しますが上がって降りるだけで結構疲れます。気圧の変更に対応するのが大変ななのでしょうね。
昔、学生の頃神戸から東京まで夜の9時発の銀河号で東京に通いましたが矢張り硬い座席に一晩座っているとエコノミー・クラス症候群に掛かる思いがしました。当時はそんなしゃれた言葉ありませんでしたが。関空がオープンして間もなく一度乗り入れて見たいとの珍しがりや振りを発揮してUAに乗って関空を目指しましたが、途中アメリカ国内の乗り換え等もありましたが、殆どがら空きで真ん中の座席3つを占有、横になって旅する事ができ非常に楽をする事が出来ましたこの経験は一度だけです。女房が隣りにいると長旅も気が紛れますが、一人旅は余計に疲れる気がします。日本は矢張り遠いです。
写真は、ポルトアレグレ空港に泊まっていたVARIG機です。


弔辞、追悼文、コメント集です。

出羽 孝史氏 サンパウロ新聞WEB版より
出羽孝史(いずは・たかし)氏は七日午前九時半頃、病気療養先のリオ・デ・ジャネイロ市イパネマ区内の病院で死去。八十八歳。山口県出身。一九三三年渡伯、リオ大使館勤務後、サンパウロ日本航空支店、リオ日本航空支店初代支店長、リオ日系協会会長を二期合わせて十一年務める。グァナバラ州名誉州民、サントスヅモン章、九二年・日本政府から勲六等単光旭日章。
 きよう八日午後一時、リオ市内のカジュー墓地霊安室から出棺、荼毘に付す。
2009年1月8日付


山下@リオです
下記の卦報を受け取りました。謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。
リオデジャネイロ日本商工会議所会員各位殿
当商工会議所会員で、理事を長い間お勤め下さいました出羽孝史氏が本1月7日、朝入院中の病院にて死去されましたので、会員の皆様方へお知らせ致します。
尚、葬儀に就きましては判明次第改めてお知らせ致しますのでお待ち下さい。
商工会議所事務局 塚本 拝


山下さん 和田です。
山下 さん
出羽さんが亡くなられたのですか。淋しいですね。ここの所、ボケ止めにと書いておられた軽妙なコラムが途絶えていましたが、その内イタニャンガでハーフラウンドご一緒すると約束していたのですが果たせませんでした。BATEPAPOにも毎月コラムを書いておられ山下さんが本にして出版されてはと云っておられたのを思い出します。
『私たち40年!!』の寄稿集に残して行かれた出羽さんの軽妙な文と写真を纏めて下記に再掲載し出羽さんを偲びたいと思います。
少し長くなりますが、全文を下記して置きます。

リオの出羽孝史さんの訃報が届きました。謹んでご冥福を祈ります。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1339


山下@リオです
本日15.30時よりvelorioに行ってきました。明日13時火葬とのことです。
あの笑い声が聞こえなくなったのはまことに寂しい限りです。
肺に空気が入って、手術しUTIで一ヶ月入院し、そのまま戻らぬ方になりました。享年88歳でした。
心からご冥福をおいのりいたします。
合掌


山下さん和田です。
出羽さんのお別れに行かれましたか。笑顔とお声、軽妙な筆致に接することが出来ないのは本当に淋しいですね。
享年88歳だったとの事。もうお誕生日を迎えておられたのですね。『私たちの40年!!』HPの寄稿集の記載も享年88歳に訂正して置きました。
有難う御座います。


皆様 工藤です
出羽さんにはリオデジャネイロで大変お世話になりました。
武士の風格のある立派な仁でした。
ご冥福を祈ります。
合掌。


出羽様の訃報を頂き驚愕致して居ります。
ご生前には私も大変お世話に成り何時も色々と
ご教訓を頂きました。
謹んでご冥福を祈らせて頂きますが何卒私の弔意を
お伝え頂きたくお願い申し上げます。
合掌。 山岸照明 


 <幽明境を異にする淋しさ> 皆さん 赤嶺です。
 前略 昨日の山下さんからの至急電で、元リオ商工会議所副会頭(ツニブラ旅行社リオ元支店長、JALサンパウロ支社元常務)をおつとめになった出羽孝史氏(88)の突然の訃報を知りました。生前、余り親しい間柄では有りませんでしたが、明るい人柄、日伯の諸事情に関する該博なその知識と豊かな人脈、豪胆そうで繊細な神経の持ち主、と言ったところが生前の氏から受けた小生の印象でした。今から、ちょうど5年位前、まだリオ商工会議所の副会頭の要職に就かれていたころ、同所主催の定例昼食会で、ブラジルの政治情勢に関する話を判り易くして欲しい、ということで出かけたのが最後の面会となりましたが、アレから間もなくして体調が万全でなくなっと言うことを仄聞していました。同氏のあのお人柄から推す限り、天国への直行便の切符を手にされたことでしょう。合掌。


出羽 さん、ご逝去お知らせにびっくりいたしました。
出羽さんは業界の大先輩、Jal Rio支店長、ツニブラ時代を
通じて、色々、ご教導をいただきました。年齢を感じさせない
粋人の趣がありました。 ツーリスモの大先達方が、なくなられ
だんだん寂しくなります。 ご冥福をお祈りいたします。
合掌
陣内 マナウス


皆さん
ブラジルで、出羽さんにお目にかかっていない人はモグリと申しますが、
私はこのモグリでした。
出羽さんの、お閑がありましたら、お閑な方はどうぞ、の名文には、感心。
とても親しみを感じていました。 今後も私はこの名文を使わせて頂こうと
思っています。
出羽さんの書き込み、(2004年8月) 一つだけ消さずに残してあり
ましたので、追悼の意味で、送らせて頂きます。
伊豆山
BATEPAPOの皆さん、
リオの出羽です。
アテネ・オリンピックとは全く関係のないオリンピックの雑文です。
お閑がありましたら、どうぞ。


早川です、過日故人となられた掲題の出羽さんのことですが、小生は、一片の面識もありませんでしたが、生前交誼を結ばれた皆さんがこの欄にありし日の思い出を記述しています、それらを総合して又バテパッポと云う縁から小生なりに皆さんの御気持を下記の如く詠ってみました;

  −友人(きみ)逝きぬ無常と云えども耐え難く惜別疼く来し方想えば (合掌)
一切の生物は生滅、変化するはかないものであることは分かっているが友人の逝ってしまったことはなんとも耐え難たい惜別を禁じ得ない、それは昔の交誼を想えば更に募る。





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