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麻生悌三のブラジル不思議発見 29 夢予言者ジュセリーノ
麻生さんのブラジル不思議発見は、4月号は、少し趣向が変わって『夢予言者ジュセリーノ』です。予言者ジュセリーノさんは、9歳の時から突如予言者から夢の中で言葉又は映像で未来の事を知らされるようになったとの事。彼自身が預言者ではなく、彼を通じて夢の中で言葉又は映像を授けられるとの事でこれまでの多くの出来事を数年前から予言しているとの事。これまでに日本関係でも色々予言が当たっているそうですが、今年2012年のジュセリーノさんの予言、『9月13日に東海大地震が起きる』が当たるかどうかを麻生さんと共に見守りたい。当たるも八卦、当たらぬも八卦と云われていますが、この9月13日の東海大震災だけは当たって貰いたくないですね。予言よ外れろと心から祈っています。外れても他の件を当てているのでまだ50歳と若いようですし廃業する必要はないし神のお告げとして夢を見るのでしょうから予言は続けて行けばよいでしょう。写真は、予言者ジュセリーノさんの写真を麻生さんが送って呉れています。麻生さん有難う。
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麻生悌三のブラジル不思議発見 30 ブラジルの裏の顔は殺しの大国
麻生さんのブラジル不思議発見は、5月号で第30回になりました。既に2年半が経過しましたが話題は絶えないようです。どこまで続きますかね?忙しさ(旅から旅)にかまけて『私たちの40年!!』のHP更新が出来ていませんが、麻生さんの原稿だけは毎月初めで送られて来ます。有難い事です。5月は、溜まっている話題をHPに収録する作業をする積りですが、5月も結構忙しく時間が取れますかね?
5月のブラジル不思議発見は、ブラジルに住む我々でも不思議に思い良く理解出来ないブラジル社会の裏の顔、殺しの大国を見事に分かり易く分析し説明して呉れています。その理由は、容易に入手できる拳銃、開拓時代の伝統(歴史的な考察)、貧富の格差(社会的な考察)、奴隷制度の後遺症、ブラジル内の南北問題、ファベーラ(スラム)の存在、麻薬がらみ等説得力ある説明で幾分理解出来た気がします。有難う御座いました。
写真も麻生さん提供です。
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井川さんが「NTT西日本コムニケーション大賞」優秀賞に輝きました。
『私たちの40年!!』メーリングリスト仲間の東京にお住みの拓殖大学卒の井川さんが井川一太郎のペンネームで「NTT日本コムニケーション大賞」のインタネット部門で優秀賞に輝き賞金10万円を獲得されました。題して【50年の友ブログ】。早く『私たちの40年!!』のホームページにも収録して置きたかったのですが適当な写真がなくそのままになっていました。今回東京のOFF会で井川さんの写真を撮らせて頂きましたのでコメント集と共にHPに収録して置くことにしました。
50年の友ブログは、『私たちの40年!!』関連BLOGを的確に紹介して呉れており来週末に行われる着伯50年の集いの前奏曲的な記述として非常に貴重なものでありこの時期にホームページに収録できる事を大変嬉しく思います。
尚、東京OFF会の前の観桜の場で新装なった東京駅正面の姿を高層ビルの26階のテラスから眺めながら皆でショッピーを頂きましたが、その時の支払いはこの賞金の一部と云う事で井川さんにご馳走になりました。井川さん有難う。
写真は色々撮らせて頂いたのですが、九段下の靖国神社の桜の前で撮った仲間との写真を使わせて貰う事にしました。左から2番目が井川さんです。
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吉田家移民史 3女の雅子さんが送って呉れました。
『私たちの40年!!』のあるぜんちな丸第12次航で来られたご家族の皆さんの50年後の家系譜を教えて貰いたいとの企画を持っていますが、中々集まりません。今回の50年の集いで最年長者として参加して下さる吉田カツエさん93歳の吉田一市さんの御家族の50年後の現況をベロオリゾンテにお住みの3女の雅子さんが纏めて送って呉れました。
当時7人の御家族が現在家長の一市さんが亡くなられただけで6人がご健在です。今回の50年の集いにも吉田家からは7人が出席して呉れる事になっています。吉田家万歳ですね。これからまだまだその枝葉を広げ50人、100人に増えて行くのではないかと思います。これぞ移住の成功者の良き例ではないかと思います。
写真は、50年祭の時に吉田家一同の写真を撮らせて頂く積りですが、40年祭の時に撮らせて貰った一枚を貼り付けて置きます。
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あるぜんちな丸第12次航着伯50年の集いを開催するにあたって(冒頭挨拶文)
2012年5月12日(土)にあるぜんちな丸第12次航着伯50年の集いを開催しました。『私たちの40年!!』HP開設から丁度10年間の助走期間を設けての50年の集いは、80席の略、一杯を占める盛況で実行委員長としては、ホットしました。各行事の会計報告も別途公開予定ですが、先ずは、セレモニの冒頭挨拶文を下記に公開して置きたいと思います。
通常の挨拶文とは一風変わったもので私の熱い思いを伝えたいとの気持ちの表れで、東京OFF会、神戸での移住と文化の交流センター(旧神戸移住センター)での講演会でも披露した「大砲としゃれこうべ」の歌を先に逝かれた同船者への鎮魂歌として熱唱させて頂きました。私の歌は、マイクなしで通用するものですが、ブラジル稲門会の相田会長夫人から発声練習をすれば上手くなるとのコメントを頂きましたが、これまでもこれからも歌う機会は少ないのでこれで満足しているとお答えしましたが、人様に聞いて頂くには練習した方が良いのかも知れませんね。
写真は、長女弥生が撮って呉れた物を使用します。
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「太く長い絆を今後も」=あるぜんちな丸12次航=50年目の同船者会開く=4カ国約80人が一堂に
『私たちの40年!!』あるぜんちな丸第12次航、着伯50年の集いを取材しておられたニッケイ新聞の田中詩織記者がいち早く5月15日付で同船者会の様子を伝えて呉れています。同日帰国されるボリビアから参加された11名にもこのニッケイ新聞をお土産に持って帰って貰ったようです。
「太く長い絆を今後も」とのメッセージ大事にして行きたいと思います。
多分これが最後の大きな会合となると思いますすが、生きている限りこの5月11日のサントス到着の日は、私たちには特別の日として今後も大事に守られて行くと思いますので何らかの形で銘々が集い祝って行ければと願っています。今回沢山の同船者、『私たちの40年!!』のMLのメンバーの皆さん、私の個人的な関係者等多くの皆さんと共にこの日を祝えたことに感謝したいと思います。
田中詩織さん取材に感謝します。
写真は、15日付のニッケイ新聞を伊豆山さんがスキャナーに掛けて送って呉れたものです。
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あるぜんちな丸第12次航、50周年の集い会計報告
あるぜんちな丸第12次航の着伯50周年の集いは、5月11日(金)松原ホテルにおける前夜祭(BOAS VINDAS)、5月12日(土)松原ホテルの地下サロン東京1及び東京2をお借りして開催されたメイン式典、5月13日(日)のあるぜんちな丸が到着したサントス港に日帰りバス旅行の3日間に渡る述べ参加者150名に渡る行事を開催しました。基本的には受益者負担の精神で会費制度でその都度会費を徴収させて頂きましたが、総額2万レアイス弱の経費が計上されました。
同船者のコロニアで著名な陶芸家の鈴木章子さんから大きな作品大壷時価6000レアイスと中壷時価3000レアイスの寄贈を受けました。また同戦者の奥野俊さんからは、間部学画伯の版画、時価1500レアイスの寄贈を受けました。この3点の内、大壷は、和田が購入、中壷は、将来の為共有財産として記念品展示室に保管、間部学画伯の版画は、ボリビアの皆さんへの記念品として贈呈しました。
写真は、ポルトアレグレのアトリエ「和み」に収まった章子さんの作品大壷の前で御機嫌の私の写真を使わせて頂きました。
地元ポルトアレグレの陶芸家の皆さんに一般公開し頂いた章子さんの50年に渡る陶芸の制作活動のDVTの映写会等を実施させて頂く予定です。
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「財産である記録残そう」 同船者会に80人が出席 12/05/18 サンパウロ新聞WEB版より
サンパロ新聞でも50年の集いに付きデスクの松本浩治記者が取材して呉れております。「財産である記録を残そう」との題であるぜんちな丸着伯50周年に付いて報道して呉れています。
前夜祭、式典、サントス日帰りのバス旅行と3日間の行事にのべ150人以上の参加者があり一応、成功したとの評価を受けており有難いのですが、ボリビアから参加の11人、パラグアイ、アメリカ、日本からの参加、初めてのアマゾンからの3人組、谷家の3人組と大変嬉しい初参加者に感謝しておりますが、アルゼンチンからの参加者がなかった事、40年、45年の同船者会に元気に参加して呉れた仲間が故人になってしまったり、今回諸事情で参加出来なかった人が多く大変寂しい思いもしました。大きな集まりは、これが最後になるでしょう。私自身これ以上は、継続すべきでないと強く感じさせられた50年の集いでした。今後は、『私たちの40年!!』寄稿集への収録作業を中心に地道な活動を出来るだけ長く続けて行きたいとは、願っていますが、何時まで続くでしょうか?
写真もサンパウロ新聞掲載の85歳以上の同船者5人による乾杯の音頭を取っている写真を使わせて頂きました。
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