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≪「らぷらた丸」の船内新聞を読んでみました≫ 神戸の出石さんからのお便りです。
出石さんは、神戸にお住みで毎週末に旧神戸移住センター(現移住と文化の交流センター)に語り部として訪問者をアテンドされるお仕事をボルンタリアとして遣って居られ多くの訪問者が重宝して移民の話を聞いておられます。皆さんへの説明のためにご自分でも戦前、戦後の移民に付いて勉強しておられ今回戦前移住者を神戸から乗せて南米に向かったらぷらた丸の船内新聞を見つけられて読む機会があったとの事でお便りを頂きました。昭和13年3月23日に神戸を出航した「らぷらた丸」の船内新聞を見つけられ丹念に読まれ一部をピックアップしてコメントしておられます。昭和13年と云えば私が生まれる2年前でもう83年も前になります。私たちのあるぜんちな丸より24年も前の話です。私たちの40年!!ホームページの船内新聞の話題欄に残して置くことにしました。出石さん有難う。
写真は、らぷらた丸の写真があればと思ったのですが上手く見つからず笠戸丸を使った本の「戦前活躍した移民船」という題の本の表紙を使うことにしました。
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【学移連ALL】 書籍「農学と戦争」(東京農大関連) その5(終わり) 早稲田OBの加藤さんからのお便りです。
書籍「農学と戦争」に付いてのその5(終わり)をリリーズします。学移連ALLの管理運営者岡本さんから必要書き込み以外は控え、個人メールで交信するようにとの指示があり下火になりその後私の所に流れてきたのは50年!!メンバーの皆さんが中心となりやっと字数の1万語で収まりましたが、カリフォルニアの村さんの重要書き込み部分が掲載されていません。申し訳ありません。学移連ALLの主要メンバーである東京農大の農大会MLで討議されているようですが、我らが杉野先生への批判が話題になり著作者の小池海平先生の辞任問題にまで発展しましたが、40年!!ホームページとしては学内の問題に入ることなく無事その5を終了することができました。また写真は、ブラジリアの須貝さんのお宅の宝物?として日本出発の時に杉野先生から頂いた激励の色紙の写真を送って頂いていますのでそれを使わせて貰う事にしました。杉野先生に送り出された農大生は幸せですね。
加藤さんの話題提供、駒井さんのご尽力、小塩先生のご返信とそれに対する多くの皆さんのご発言を5回に渡り纏められたのは、幸いでした。欠落したご意見があればそれは私の見落としであり故意に選択したものではないのでお許しください。字数の関係で時系列が乱れており理解に苦しむことがあるかも知れませんがこれも私の不徳です。皆さんご協力有難う御座いました。
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≪「らぷらた丸」の船内新聞を読んでみました≫その2 神戸の出石さんからのお便りです。
前回ご披露した神戸にお住みの出石さん(通常お名前のおみちさんが愛称です)の戦前の移住船「らぷらた丸」の船内新聞の紹介文に続いて船内新聞の全13号の目次的な説明文を送って呉れていますので前回同様、私たちの40年!!のホームページの船内新聞の話題欄に残して置くことにしました。「らぷらた丸」船内新聞第2号の発刊日が4月1日になっており丁度83年前の4月バカの日に発刊されており、船内の皆さんがどんな思いで読まれたか?出石さんは、戦後のあるぜんちな丸と比較しながら変わらぬ赤道祭に焦点を当てておられます。船内行事では、赤道祭、演芸会、下船港での出来事を思い出していますが、我々の乗ったあるぜんちな丸は、アメリカ経由パナマ運河を通過してきましたが、らぷらた丸は、西回りで香港、シンガポール、アフリカ東海岸からケープタウン経由です。私も2度目のブラジルに戻るときは、西回りのテゲルベルぐ号に乗っているのでらぷらた丸の皆さんと同じ航路を経ているので懐かしいです。特にケープタウンでテーブルマウンテンに登り乗り遅れそうになったのを思い出しています。写真は、出石さんが船内新聞の表紙を送って呉れているので助かりました。有難う。
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南米開拓前線を行く。1 松栄 孝
東京農大の拓殖学科を卒業されブラジルに移住して来られた松栄 孝さんは、最近話題なった杉野先生とは4年違いで直接教えを受けることが出来なかったそうですが、先生の死後55年経った今、先生の教えを辿って見たいとの強い想いで手元に在る「南米開拓前線を行く」を紐解き皆さんと一緒に杉野先生の教えを現代の時代に合わせて勉強して見たいとの事で手持ちの本を一字一字叩き直して50年!のメーリングリストに流して呉れています。この貴重な杉野先生の教えを是非このホームページに残して置きたいと思います。是非皆さんと一緒に勉強して見ようではないですか。写真は、松栄さんが送って呉れた在りし日の杉野先生です。
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疑似コロナ顛末の記 丸木英朗(86歳)、ノースヨーク
50年!メーリングリストの人気者丸木さんの癌闘病記は、何度かBLOGに掲載させて貰っていますが、今回掲題の≪疑似コロナ顛末記≫として纏めて居られますので40年!!ホームページに掲載して置きます。昨年9月に入院悪性リンパ腫甲状腺癌と診断されて以来毎月2日間やってたキモテラピア(化学療法)も先月で終了し、体重は80キロまで回復しているとの事、もう大丈夫、毎日50年!に色々書き込んで呉れています。トロント日系文化協会の月刊誌に投稿しておられる記事を残して置きます。写真は、お馴染みの丸木さんの世界選手権の銀メダル取得のガッツポーズですが、来年こそは日本で金メダル獲得、世界1になるぞとの夢を捨てて居ないようです。頑張って実現させて下さい。
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「喜寿の思出」 大西重里 出石さんが送って呉れました。
神戸の旧移住斡旋所、現移住と文化の交流センターに週末に語り部として訪問者に説明をするヴォルンタリオとして活躍されておられる出石美知子さんの所に送られて来た移住センターの東隣にあった「大西商店」と云う支度屋さんのオーナの大西重里さんが書かれた自叙伝「喜寿の思出」をプレゼントされ驚いたそうですが、それを読まれた喜びを生き生きと語られています。620万回のアクセスを今月中に記録する予定の40年!!ホームページに相応しい話題ですので残して置くことにしました。出石さんのお仕事の一つにこうしてお仕事上の話題を残して置くという楽しみが増えたようですね。今後も是非色々話題を提供してください。有難うございます。写真も出石さんが送って呉れた本の表紙です。
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南米開拓前線を行く。その2 松栄 孝
南米開拓前線を行く その2です。松栄さんは、まるで写経をしているような気持ちで杉野先生の遺稿を叩いているそうですが、じっくりと一字、一字噛みしめながらの作業に頭が下がります。先生の教えだけでなく松栄さんの苦労をしながらの独り言がまた面白くて貴重な書き込みになっています。今回はカリフォルニアの村松さんから杉野先生の詳しい明治、大正、昭和を通じての履歴と貴重な写真3枚を送って頂いていますので今後使用させて頂くことにしました。その2は、松栄さんの原本になっている杉野先生の遺稿集の表紙を送って頂いているので使用したいと思います。松栄さん写経が大変ですがどうぞ続けて下さい。
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『ブラジル戦後移民』 58年の記録 旧ホームページの保存(57)
昨年、令和2年10月26日、40年!!ホームページ開設18年5ヶ月で600万回アクセスの日にTOP PAGEの一部書き換えを実施して今日令和3年4月18日午前7時で620万回を30回OVERしているのを見つけ急いでTOP PAGEの一部書き換えを実施することにしましたので旧ホームヘージの保存(57)として残して置くことにしました。着伯以来実に今年の6月11日で59年になりますのでホームページには、59年の記録としました。昨年書き換えの日から数えて143日が経っており20万回達成には、毎日平均1398回のアクセスが有った事になります。開設以来にしますと18年11ヵ月経っており1日平均910回になり前回の892回より18回増えています。沢山の方にアクセス頂き本当に感謝です。今回は、事前に連絡していなかったのでひっそり通過してしまったようですが次回は、6666666の6が7桁揃う日を祝いたいと思います。残り46万回令和4年になりそうですね。突然の到来で準備が出来ておらず適当な写真が見つからず今朝撮った6200030回を使う事にしました。
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