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DUNGAも餅つき!!
12月5日夜、ポルトアレグレ津嶋冠治総領事主催の天皇誕生日のお祝いがGREMIO NAUTICO UNIAOの大サロンで200名以上の地元官憲、民間、日系コロニアの皆さんを集め開催されました。今年は少し趣向を変え、生け花、盆栽、折り紙、竹細工、浮世絵、鯉幟から果ては餅つきの実演とあんころ餅の即食会まで盛り沢山の日本を紹介する催しとなりました。日本滞在経験を通じての日本文化に付いてカトリック大学で講演して人気を博した元ジュビロ磐田のDUNGA選手(ブラジル選抜軍の主将として1994年のアメリカ大会で優勝杯を持ち上げたが元は地元ポルトアレグレのインテルナシオナルの選手)が駆け付け餅つきの杵を振り上げて愛嬌を振りまいていました。DUNGAの餅つき姿を日本の皆さんにも送ります。



少し早い忘年会をしました。
11月22日に今年中に私のサンパウロ行きがあるかどうか判らないとの判断で同船者の仲間が少し早い忘年会を開いて呉れました。今回は産業開発青年隊の牧さんが参加してくれ朝3時に起きて寿司作りをしている杉島さんも出席しその話術で皆を笑わせ大いに盛り上がりました。掲載写真は後列左から和田、小山、牧、園田。前列左から和子さん、美香さん、いく子さんに杉島さんです。平均年齢は?美香さんはいつも船ではまだおしめをしていたと冷かされていますが着伯40年ですので最低40歳プラスα でもまだ若いでしょう?



TUDO PELA PATRIA(祖国の為に)
上記ブラジル海軍の練習船CISNE BRANCOを見学した際にメイン・マストに大きく掲げられていたブラジル海軍の軍章と標語にTUDO PELA PATRIA《すべてお国のために》は、日本語に訳すと軍国主義的な響きになりますがポルトガル語では、《祖国のために》といった軽快なフットワークで船内をきびきびとした態度で立ち回る練習生にはそぐわぬ標語のように感じましたがWー杯のブラジル選手達同様、皆このTUDO PELA BRASILの気持に通じているのだと納得しました。



ポルトアレグレ港に立ち寄ったCISNE BRANCOの勇姿
ブラジル海軍の練習船CISNE BRANCOは、11月8日から12日までポルトアレグレの港に停船10日と12日の午後一般公開されました。12日の午後に港に出向きこの白鳥と呼ばれる練習船の華麗な船姿を撮って来ました。大航海時代の帆船のレプリカでオランダのアムステルダムで建造されブラジル発見500年にあたる2000年の3月にポルトガルでブラジル海軍に手渡されブラジル発見者のペドロ・アルバレス・カブラル総統の取った航路を辿りブラジル発見の4月21日にポルト・セグロに到着した。その後はブラジル海軍の練習船としてブラジル国内の各港、世界の海事行事に参加している。全長76メター、横幅10.5メター、主帆マストの高さ45.4メター、帆による最大速力17.5ノット(時速32km)、乗組員81名(内31名は海軍練習生)都合31ある帆を全て張ると実に18キロメターの綱を張ると云われる。500年前にカブラルが航海の安全を願って安置していたノッサ・セニョラ・ダ・エスペランサ(希望の女聖人)と同じ聖人像のレプリカがシスネ・ブランコにも守護神として安置されている。



「岩崎美千代先生を偲ぶ会(生田中学)」のご案内
9月26日付けの掲題の案内書が大阪の茨木に住む妹の所から転送されて来ました。11月17日(日)午後1時―3時 ラッセホール(中央区中山手通4-1018 旧教育会館)。残念ながらブラジルからの参加は不可能ですので幹事の方に欠席通知と共に昨年帰国時に集まって呉れた生田中学(既に廃校になり神戸中学と合併神戸生田中学と呼ばれているとか)の同窓生と一緒に撮った記念写真と共に送りましたがお元気な岩崎先生とのツーショットが見つかりましたので掲載して置きます。とてもお元気で世界中を旅しておられると聞き次は是非南米ブラジルに来て頂きたいとお願いし快諾を得ていたのですが昨年12月に脳腫瘍が見つかり医者が3ヶ月との判断に7月まで気力で生き抜いて来られたと聞いております。岩崎先生は、日頃から生田中学への思い入れが強く、万一の時には生田中学関係者で賑やかに見送って欲しいとのご希望を遺族の方に伝えていたとの事、賑やかな事が人一倍好きな私が参加出来ないのが残念ですが先生安らかに私たちを見守って下さい。写真はお亡くなりになる約1年前の昨年6月初旬神戸で撮ったものです。



ブラジル在住の和田様がチリー旅行された時、奥様が撮影された風景です。
和田さんは、40年前にブラジルに移住された方で、一緒に移住された方々の歴史を残すため、ホームページ『私たちの40年!!』を立ち上げ、多くの人からのACCESSを望んでおられます。是非、ご覧になって下さい。リンクは、こちらです。
これは『神戸じいじ』さんのHPのTOP PHOTOとして掲載頂いた写真の逆輸入です。



内田 明さん(山口県出身1943年9月3日生まれ=南伯呼び寄せ単身移民)
内田 明さんに付いては寄稿集178番に紹介しておりますが、現在リオグランデドスール州のカシアスドスール市にお住いです。高校時代は柔道で鳴らし防府高校で2段の腕前でしたがブラジルでは力の柔道で若い頃には良く町の道場に顔を出したが黒帯を締めると目の敵にされ若くて元気の良いのが胸を貸して欲しいと飛びつかれ力負けする場面も出てきたりで現在は、殆ど畳に上がる事はないが青春をかけた懐かしいスポーツとして思い出すとのこと。11月10日(日)にお宅で寛いでいる所を撮らせて頂きました。



若さと美貌?を保つ秘訣は、毎朝のラジオ体操?サンパウロ新聞モザイク欄から。
エリ子さんが大事に保管しておられた半世紀近い昔の写真を提供して頂きました。ちはや丸の甲板で仲間と一緒に撮った様です。左端が栗本さん帽子をエリ子さんに貸してあげているようです。
サンパウロ新聞10月31日付けのコラム欄モザイクに掲載されている記事。
「ガンの手術の前に、半世紀前に結婚を申し込んだ日系少女の消息を知りたい」の記事の主人公渡辺・藤木エリ子さんは、訪日する時乗ったルイス号の中国船員からもプロポーズされた、と打ち明ける。松竹歌劇入試に落ちた後、母親と東京で三年間暮らしたが、中国船員の実兄が訪れ、「ぜひ弟の嫁に」と請われた。出遭いからは半世紀経った後まで思慕され、「人生終る前にもう一度会いたい」とまでいわれる女性は稀で羨ましい。67歳の年齢を感じさせない女の色香残るエリ子さんは「毎日のラジオ体操が美貌と若さを保つ秘訣」と明かす。これが本当なら、ラジオ体操の出席者全員が美人のはづだが・・・が、しかし、これからラジオ体操への出席者は増えそう。



サンパウロ新聞記事 半世紀の歳月を経て再会へに掲載された写真。
『私たちの40年!!』HP寄稿集174で紹介しているサンパウロ新聞の10月31日付け社会面に掲載されている記事の一部としてこの写真がで出ています。「53年前、訪伯した栗本さんとエリ子さん(サントスで)」如何にも若々しいお二人です。エリ子さんは昨夜(11月8日)サンパウロを元気に発たれました。日本時間明日10日の成田での再会は如何なものでしょうか。Felicidades !!



1927年生まれの坂本三郎さん
寄稿集173「コレラ発生のはわい丸で1歳のとき着伯された坂本三郎さん」で紹介しておりますが、10月19日(土)サンパウロ奥地の町、オウリニョス体育文化協会主催の慈善夕食会に参加した際にお話を聞きながら撮らせて頂いた写真です。75年ブラジルに生きて来られた年輪が刻みこまれたお顔が印象に残りました。



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