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椰子の葉風 鈴木南樹 その11
椰子の葉風その11は、コーヒー園を去る鈴木青年を見送りに来たアンナとアントニオが何とか間に合い客車に引き上げられ軽鉄が走り出すと頃から始まり、チビリサ駅での20分の汽車待ちを過ごし皆に別れを告げる。アンナ、アントニオ兄弟を抱きしめると3人が溶鉱炉の中で溶け合ってしまう感じがしたとの辛い別れと共に農場生活を終えサンパウロの移民収容所での新しい生活が始まる。字数が少し余るが、移民収容所時代(一)と(二)で終わる事にする。
写真は、当時の移民収容所の正門の挿絵を使う事にしました。

椰子の葉風  鈴木南樹 その12
椰子の葉風その12は、移民収容所時代(三)、(四)と字数が余ったとので(五)の一部を加え9500字として残りは次回に回すことにする。住む場所を確保、移民収容所最初の日は、始まる30分前に出社し施設を旧知のエルクラノさんに案内して貰う。移民収容所での仕事は、朝の8時に始まり午前中3時間で昼休み午後は1時から始まり4時まで1日6時間で農場に比べると余りにも楽過ぎて驚く。1908年に笠戸丸移民を受け入れる為の準備を移民収容所で勉強を始める。風土病のマラリアに付いての描写が始まるところでその12は、終わる。色々勉強になる。
写真は、挿絵にある移民収容所の見取り図を使わせて貰いました。

知っておきたい『日本の歴史』徳力啓三 その14(最終回)
3月26日(水)に始まった知っておきたい『日本の歴史』は、最終回のその14に到達しました。週一で三ヶ月弱、日本の歴史を徳力さんと一緒に紐解いて来ました。
最終回は、第三節 21世紀の世界と日本、91−冷戦の終結と共産主義の崩壊、91−21世紀の日本の進路で終了します。70歳を過ぎてから歴史に興味を持ち歴史の基礎となる過去の事象を知る作業の結果がこの本の発行に繋がったとの事。知っておきたい日本の歴史、特に戦後の日本史の捉え方に叩き込まれた自虐史観からの開放、胸を張って日本人としての美点を態度で示した東日本大震災後の日本人に誇りを持ちこうした歴史の蓄積を失わずに受け継いでいくべきだとの結論に賛同したいと思います。
写真は、今世紀の大きな出来事として東日本大震災の地元紙河北新報の記事を残して置く事にしました。長らくお付き合い頂き有難う御座いました。

椰子の葉風 鈴木南樹 その13
椰子の葉風その13は、前回の風土病マラリアの媒体である蚊の話の続きから始まり、移民収容所時代(六)に入り夜に移民収容所に遊びに行き、北欧移民、南欧移民のドイツ人、イタリア人、スペイン人の移民者600人もの収容風景に出くわしそれぞれの移民の特徴を観察する。その(七)では、下宿の引っ越しと宿屋の若夫婦の所かまわぬ馴れ合いに影響され日本で過ごした若かりし頃の性談議に入る。次回から後2回赤裸々な南樹青年の性談議が続く、後2回で終わらせるために途中になるが㈧に入る。
写真は、マラリアを媒体する尻を上げて止まる特徴のある蚊,アノフェレスの挿絵を使う事にする。


椰子の葉風 鈴木南樹 その14
椰子の葉風も後2回で終了する事になった。移民収容所時代(八)の続きから始まり、東京に出る汽車の中で隣り合わせたお京との切ない夜を過ごし童貞を守り南米に発つ27歳の貞次郎青年の赤裸々な純情青年振りには、男としての共感を得る。何とか字数を計算しながら(九)と(十)の一部で9700字に納める事が出来た。
適当な写真が無くて困っていたらブラジリアにお住みの東京農大OBの須貝さんがこの移民収容所に1週間泊まったことがあるとの事で写真を送って呉れたのでお借りして使う事にしました。学移連の南米視察研究団員の皆さんと一緒の貴重な写真です。須貝さん有難う。

椰子の葉風 鈴木南樹 その15(最終回)
椰子の葉風 その15(最終回)は、前回の続き東京での生活を終え故郷山形への新聞記者として勤務時代の南米に向かう決心をするまでの純な鈴木青年の赤裸々な込み上げて来る性との闘い、27歳の童貞のままチリ、ブラジルへの旅立ちと1年間のコーヒー園での実習生活と笠戸丸移民受け入れの為の移民収容者生活と意を決しての1908年3月の童貞喪失までの逡巡する心の動きを上手く描写して最後まで読ませて呉れました。写真は、最後の挿絵として添えられている1908年代のお茶の水橋界隈の写真が掲載されていたのでそれを使う事にしました。古い機関誌に掲載されていた記事を丹念に叩き直し本の形態に作り上げた出石さんの努力に敬意を表し連載を終了させて頂きます。出石さん有難う。

『ブラジル戦後移民』 57年の記録  旧ホームページの保存(55)
今年、令和2年1月30日、40年!!ホームページ開設17年8ヶ月、570万回アクセスの日にTOP PAGEの一部書き換えを実施、次回は、年内に実現する600万回達成の日の書き換えを予定していましたが、この5月11日で着伯58年になったことからホームページのTOP PAGEの一部書き換えを実施しました。5ヵ月弱で18万回、1日平均1200件のアクセスを記録して居り少し速度が速まっているようです。600万回は、少し早まり9月中に実現する可能性が出て来ています。川越しゅくこさんが600万回アクセスのお祝いの文を書いて下さることになっており、次回は楽しみです。
2002年5月11日着伯40周年を記念して開設したこのホームページは、18年1ヶ月が経ち588万8888回を今日記録しましたので慌ててTOP PAGEの一部を書き換えると共に旧ホームページの保存作業をしています。開設以来毎日904回のアクセスを記録しています。有難いことです。
今年は、コロナウイルスのパンデミアで外出自粛令が今も続いており家に閉じこもっていますが、40年!!のホームページ更新作業で救われています。早く治まって欲しいdすね。皆様も置きお付けください。
何時も掲載する写真に困るのですが、咲き始めたイペーロッショの花と私を残して置きましょう。

日本人移民、再起の原点・モジ・ダス・クルーゼス 東海林 正和
最初の日本移民を連れて来た笠戸丸の到着から苦労の10年が過ぎサンパウロ近郷のモジ・ダス・クルーゼスに安住の地を求めた1919年の入植から今日までの歴史を辿り、自らその地に住み着く事になった戦後移住者の東海林正和さんのブラジル放談・男のエッセイに書き残した記事を鈴木貞次郎さんの「椰子の葉風」に触発されて送って呉れた文をHPに残して置く事にしました。写真も彼の文に掲載されているモジの町のお祭りに馬で街を闊歩する東海林夫妻の写真を使わせて貰いました。

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