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ポルト・アレグレ総領事館の閉鎖反対問題=「外務省に納得いかない」=存続訴え2度の署名活動 ニッケイ新聞8月5日付け記事より。
ポルトアレグレ総領事館閉鎖反対のキャンペンを打ち出して2年近い歳月が過ぎ、愈々外務省内での来年度予算編成段階で既成の事実として閉鎖方向で検討されているとの間接情報が聞こえて来る程度で初期の段階から求めている情報の公開、開示、結論への到達段階での地元民への説明、説得の努力は見られず国家の機密を自分達で検討、決定すると云った密室作業が進んでいるようです。完全閉鎖でなく最低の窓口業務をポルトアレグレで継続できる法的措置としてパラグアイのエンカルナシオン、ボリビアのサンタクルスと同様のクリチーバ総領事館の出先としての業務継続、在留邦人の保護程度は是非とも残して欲しいものです。7月27日,28日の2日を掛け現地取材に来られたニッケイ新聞の大角記者をアテンドさせて頂きましたが、同記者が下記の記事を8月5日付けで掲載して呉れております。ポルトアレグレ総領事舘閉鎖反対キャンペンの一つとして役人立って呉れればと願っていますが… 写真は、大角記者が南日伯援護協会での取材中に撮らせて頂いたものです。

近藤 博之先輩より引越し通知を頂きイグアス見物の旅の帰路立ち寄りました。
近藤先輩には、ブラジル到着の1962年5月11日よりお世話になっておりブラジルで知り合った最初の早稲田の先輩です。昨年6月6日に御子息利秋さんが交通事故で亡くなられ奈落のどん底から這い上がり現在は、フロリアノポリスのイングレーゼスの海浜に引越されたとの通知を受けました。大阪の妹、多加代が来伯中でイグアスの滝見物に車で3083kmの旅の帰路フロリアノポリスに立ち寄り近藤先輩と夕食をご一緒する機会がありました。73歳の白髪の好紳士近藤さんと潮風の匂いを楽しみながら飲み交わし語りあかした楽しい一時を報告して置きます。引越し通知は、多くの稲門会の皆さんの手元にも届いていると思いますが、全文を掲載して置きます。
写真は、カイピリニアを手に語る近藤さんです。

アルゼンチン拓殖協同組合創立四五周年記念誌を贈って頂きました。
私がアルゼンチンを始めて訪問したのは、まだ学生移住者?早稲田在籍の1963年だったと思います。ブエノスアイレスでは、当時兵庫県人会(県花のノジギクから取った野路菊会と呼ばれていた)の会長をしておられた山田ホルヘさんに大変お世話になり兵庫県人会から餞別まで頂いたのを覚えております。その後も何度かブエノスを訪ねる度に山田さんにお会いしておりましたが、今年5月に久振りにブエノスを訪問する機会があり山田さんの新居をお訪ねしました。前の家は余りにも大きすぎ夫婦2人では構い切れないとの事で高級マンションに引越されていました。美人でお優しかった奥様は、体調を崩しており臥せっておられるとの事で残念ながらお会い出来ませんでしたが、もう40年も前にお世話になった奥様の姿が瞼に残っており昔のままの記憶を辿り時の経過を感じました。
最近になり山田さんが理事長をしておられるアルゼンチン拓殖組合の創立45周年誌を郵送して頂きました。
写真は、山田さんを訪問した時に住んでおられるマンションの入口で管理人にシャッターを押して貰った一枚です。

第11回バーチャル座談会 【アテネ・オリンピックに付いて語る!!】前編
前回の第10回バーチャル座談会【ポルトアレグレ総領事館存続問題に付いて語る!!】は、話題が話題だっただけに参加者が少なく『次回は、世界の祭典、アテネ・オリンピックをテーマに色々楽しい語らいが出来ればと願っております』と閉めたのですが、本日から愈々オリンピックが開催されました。これまでに発言頂いた皆さんの声をまとめて前哨戦として40年前の東京オリンピックの思い出等を中心に纏めてみました。これから熱い2週間強どのような発言、コメント、感想が寄せられるか楽しみです。出来れば前編、中編、後編の3回程度を期待しておりますがそんなに続くでしょうか?皆さん是非ご参加下さい。
写真は、東京オリンピックのポスタターをお借りしました。

日本ブラジル交流協会 第二三期ブラジル留学研修報告書を送って頂きました。
日伯交流協会の第二三期研修生35名の研修報告書をポルトアレグレで研修しておられた檀野 令子さんから送って頂きました。通常帰国年内にはこの種報告書は挙がって来ず?翌年になったりするケースが多かったなかインタネットの普及、メール交信が進行している性か、しつかりした編集長の努力か写真も多い68ページの報告書は、読み応えもあります。私の管轄?南部2州での研修生3名の報告書を大阪から遊びに来ている妹、阪口多加代にタイプアップして貰い掲載する事にしました。来年は、研修制度開始の年から数えて25年目に入る四半世紀に当ることから現在過去最高の57名の研修候補生が日本で事前研修しているとの事ですが戦後移住が絶えて久しいブラジルへの新しい血としての日伯交流協会の研修生派遣制度は、多くの若者に1年間働きながら各自の研修テーマを持たせブラジルとの生の付き合いをする機会を与え将来の日伯架け橋的人材養成制度として大いに期待出来る。
写真は、研修報告書の表紙です。

暑中お見舞い申し上げます。アジアのフリーライター松田 健さんからの久しぶりのお便りです。
数年前にご自分の守備範囲アジアを離れJETRO派遣の香港テクノセンター石井ミッションの一員としてブラジルを訪問された時からのお付き合いをさせて頂いており松田さんのHPハロハロもリンクさせて頂いておりますが、今回は、アジアを離れて花の都パリを訪問されたとの事でロンドンよりお便りを頂きました。私はタバコを吸いませんが、是非花の都パリには行って見たくなりました。ポルトガル、スペインの方が先になりそうですがそろそろ中南米、日本を卒業してヨーロッパに進出したいと女房と話しあっていますが実現するでしょうか?それまでは、皆さんの旅行記等で楽しみたいと思います。松田さん有難うございます。
写真は、送って頂いた中からミロのお尻を見ながら休める石の長椅子から撮ったものをお借りしました。

田宮虎彦著 【ブラジルの日本人】 朝日選書33 1975年3月初版より
神戸一中の大先輩でコロニアでも覚えておられる方も多いと思いますが故鈴木悌一さんと神戸で机を並べておられた作家の田宮虎彦さんが1969年の4月初めから7月初めにかけての3ヶ月間、旧友の鈴木悌一の誘いでブラジルに来ておられます。そのときの心覚えのために書かれた紀行が1975年3月20日1刷発行で朝日新聞社の朝日選書33として出版されその1冊が私の手元にある。若い頃に田宮先輩が書かれた【愛のかたみ】を読み感動したことを覚えていますが、35年前にブラジルを訪問され日本人のブラジル移民60周年を迎えた当時のコロニア事情を記述しておられ興味深い。その中の『どう変貌するか日系社会』を来伯中の妹の時間を取上げてタイプアップしてもらった。是非紹介したい書籍の1冊であり、神戸一中の大先輩田宮虎彦さんと鈴木悌一さんを偲ぶ縁として残して置きたい。
写真は、同書の表紙です。

ガルアーぺ日本語学校のこと  木田祐子さんの【あゆみ】日本語教育実践記録より。
同船者でアルゼンチンのミッショネス州ガルアーペ移住地に入られた木田祐子(旧性三浦)さんは、ガルアーペ移住地当時から日本語の先生をしておられ現在もブエノスアイレスの北部地区にあるアカスース日本語学校で教えておられます。仕事でブエノスアイレスに行く機会があり42年振りにお会いする機会があり弟の三浦大祐さんとご一緒にスペイン料理の美味しい店で語り合う事ができましたが、その時にお預かりした祐子さんの日本語教師生活22年の節目に当る1996年に纏められた日本語教育実践記録【あゆみ】の一部『ガルアーペ日本学校のこと』をポルトアレグレ滞在中の大阪の妹にタイプアップして貰いました。やっと肩の荷が下りた気持がしますが、まだまだ寄稿集に残したい書きものがあります。祐子さんは亡くなられたお姉さんとご一緒に船内学校の幼稚園の先生をして頂いており当時の生徒さんがボリビアのサンファン移住地に沢山入られたとのことで今も懐かしがっておられました。何時の日か皆で集う機会が持てればと念願しておりますが45周年にあたる2007年にでもサンパウロでブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアの同船者の皆さんとお会い出来れば嬉しいですね。