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ブラジルで企業を起こした和田さんの「さわやか」さA
『私たちの40年!!』編纂に当っては、印刷、出版を目指していましたのでその構成原案等も作成していましたが種々理由により最終的にはHPの形で寄せられた資料、写真、寄稿文等を皆で共有する事になりました。HPの持つ便利さ汎用性に頼り作成者の一方的な判断による編集方針、基準、指針と言った統一性を欠く形での羅列になってしまっているのではないかと危惧しますが、当分は、この形式で順次掲載出来る物を積み重ねて行きある段階で再編集、書式に沿った形で纏める事を考えることにしてやっていく積りですのでご了承下さい。 
『私たちの40年!!』(40年後の船内新聞号外)の編纂の“云い出しぺ”でありこのHPの作成管理者の個人的な出過ぎも目に付くかと思いますが、同船者の一人である和田を通して語られるその生きざま、友人、家族、仕事等がベースになって多くの同船者がこれにジョインして皆で一人一人の40年を語り合う場として活用していければと念願しております。皆さんの投稿をお待ちします。掲載写真は、数少ない四十年近く前の若かりし頃の写真をご披露します。

閉校にあたって-----!【1962年5月6日(日)第三十号船内ニュース さくら より抜粋】
保存されている船内新聞の最終号には【三十号突破を祝す。移住輸送監督官 伊藤敏夫】の記述と共に1ページ目に上記の閉校にあたって----- !が記載されています。確か新婚旅行を兼ねてご主人の山川健一さんとご一緒に一般船客として乗船しておられた山川純子先生にもポルトガル語及びブラジルの国歌(難しくて覚えきれませんでした)を教えて頂きましたが、ご自分が書かれた文が保存されて居た事を知ればどう思われるでしょうか?是非ご感想を聞かせて頂きたいものです。写真は船内で山川純子先生(右端)と一緒に撮った佐藤昭子さん佐藤薫さんの写真です。

今東光 和尚の【南米漫遊記】丸善石油高等工学院の学院便り15号から転載(1)
私たちのあるぜんちな丸第12次航の神戸移住斡旋所における船待ち講習会に当時南米旅行(ブラジル、アルゼンチン)から帰国間もない人気作家の今東光和尚が馬の餞(ハナムケ)として我々を激励して下さった事実が当時の朝日新聞の記事として残っており(高根健次郎さんの寄稿文前編参照)当時の様子を覚えている同船者(神戸より乗船した人達)も多数いるようです。何とかこの今東光和尚の講話が残っていないか方々手を尽くして調べて頂いた結果、大阪府箕面市にあった丸善石油高等工学院という工業専門学校の学院だより 15号に南米から帰国後すぐの時期に春の教養講座として話された原稿が残っていました。学院だより 第15号から転載させて頂きました。写真は、今東光和尚の在りし日の英姿です。

今東光和尚の【南米漫遊記】丸善石油高等工学院の学院だより15号より転載(2)
今 東光和尚は、昭和36年11月3日に日本出発、同年12月3日に日本帰着でアルゼンチン、ブラジル、パナマ等を訪問しえいる。その間の感想等を南米漫遊記として我々のでて来た37年春に丸善石油高等工学院の春の教養講座として話しておられます。【日本移民の南米での実情】と【歓迎される日本人と製品】です。毒舌が冴える第2部です。写真は、今東光伝の本の表紙からとりました。

今東光和尚の【南米漫遊記】丸善石油高等工学院の学院だより15号から転載(3)
今 東光和尚の南米漫遊記第3部です。【巨大な新都市ブラジリア】では、ことに面白かったのは、ブラジル。今ブラジルはインフレで困っています。なぜ困っているかというと、何しろ巨大な新し都市をブラジルのど真ん中にこしらえた。またそうゆうことを考えるのが大変な奴ですね。いかに土地がひろいとはいえ、いかに世界中でフルシチョフが独裁であろうと、ケネディがえらかろうと、ワシントンという首府を新しいところへ持っていって建てようということはできない。【大活躍する日本青年】【日本人二世でもつ陸軍】【日本人の雄飛すべき南米】と続く。写真は、最後の極道辻説法の表紙から転載しました。

あるぜんちな丸第12次航の同船者の皆さんへ!!【お知らせと御願い】
『私たちの40年!!』編纂作業で一番最初に出来上がった文書であり、本来ならば、この寄稿集の最初に掲載すべきものですが後先になってしまいました。HP作成プログラムでは、順序を変えることが難しく(技術的には可能だと思いますが)次回改定までここに置かざるを得ません。【お知らせと御願い2】アンケート用紙も一緒に掲載して置きます。写真は昨年6月初旬に神戸の移住斡旋所の建物を見に行った時に見つけた移民発祥の地と書かれたブラジル産の大きなグラナイト(御影石)の碑が立っていたのを撮ったものです。

県連ふるさと巡り@ 不耕起栽培のイグアスー移住地 【2001年10月10日付サンパウロ新聞より転載】
同船者の小山徳さんと園田八郎さんがパラグアイのイグアスー移住地で39年目の再会を果たしたとの記事がサンパウロ新聞に掲載されていましたので転載しておきます。写真は、小山徳さんが編集委員会の会合に参加している時に撮った写真です。

県連(西谷博会長)主催の第十四回ふるさと巡りパラグアイ・バスツアーが九月十四日から同十九日早朝までの六日間にわたって行われた。今回のパラグアイ訪問は全パ都道府県人会(笠松尚一会長)が今年二月に結成されたことと、イグアスー移住地が入植四十周年記念を迎えたことを祝して行われたもの。アスンシオンやエンカルナシオンをはじめ、イグアスー、ラ・コルメナ、ピラポーの三つの移住地を訪問した。ブラジルとは一味違うパラグアイの移住地の表情とツアーの模様を紹介する。(森美樹記者)

特集 青年男女の集い開かる!! 参加者数約100名!【船内新聞特集号より転載】
62年4月の船内新聞の特集号(日にちが特定出来ない)に18歳-25歳の青年男女約100名が集ったとの記録がありこの会合に参加した青年男女は、現在五八歳-六五歳になっている筈で、あるぜんちな丸第12次航の中でも15-20%を占めていた年齢層。現在も現役で活躍しておられる層だと思います。40年前に何を考え発言していたのかタイムスリップして読み返して見ましょう。あの発言は俺だ、私だと言う意見、感想が聞かれると嬉しいのですが。写真は、青年男女の集いを司会された移住助監督の長沢さんの船内のスナップ。