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【カルナヴァルと日系人】 (1)、(2)、(3)ニッケイ新聞記者、深沢正雪さんのレポート
第6回バーチャル座談会として『ブラジルカーニバルを語る!!』をUPしましたが、ブラジルのカーニバルを正面からでなくちょっと変わった側面から取材し【カルナヴァルと日系人】という3回に渡ってのニッケイ新聞記者、深沢正雪さんのレポートが2月22日、25日、26日に掲載されておりました。バーチャル座談会の触れられていない日系初のサンビスタ(サンバの踊り手)、日系初のカーニバルの審査員、日系初のカルナヴアレスコ(パレードの総監督)と実在の人達に光を当てての取材レポートはカーニバルを知る上で大いに役立つ貴重なレポートです。深沢さんならではのレポートをまたお借りしました。有難う御座います。写真は、カーニバルのパレードの写真です。

最後の移民船 にっぽん丸から30年=同航会で出航シーン再現=波瀾万丈な人生を語り合う=4割が出稼ぎや帰国
私たちのあるぜんちな丸(2代目)が改修されてにっぽん丸となり戦後の船による最後の移住者285名を乗せて(その内222名がブラジルに入国)丁度30年前の1973年3月27日にサントス港に到着した。にっぽん丸は、豪華客船に生まれ変わり世界1周の旅の途中のサントス入港であった。10年前の20周年にも皆で集まり今回は2度目の同船者会とのことで34家族100人あまりが集いあった。当日の様子をニッケイ新聞は4月2日付けで掲題の見出しで大きく報道しています。
ジャーナリストとしてこの最後の移民船に乗り込んだ、現ニッケイ新聞の東京支局長・藤崎康夫著『母と子でみるブラジルへ%本人移民物語』(草の根出版)によると、にっぽん丸の見送りは約三千人に上り、乗客四百人のうち南米への移住者は計二百八曙ワ人を数えたと語られれており、その藤崎さんが撮られた多くの貴重な写真が紹介されたとの事ですがそのうちの1枚、同船者総出で甲板で撮った記念写真をお借りしました。

「鉄道の旅」杉村士朗さんの寄稿。
ポルトアレグレに住みポルトアレグレ総領事館勤務の杉村士朗さんは、無二の旅行好きでリユックサックを担いで世界中を歩いておられます。南日伯援護協会の会誌『援協ニュース』に2度にわたって寄稿されていた「鉄道の旅」前編、後編をお借りして掲載して置きます。総領事館退職後は、好きな一人歩きを楽しむ計画だったようですが最近結婚されたとの事で思うような一人旅は難しくなったのでしょうか。これからも旅行記等を寄稿頂きたいと思います。写真はクリチーバーパラナグア間を走る山岳鉄道のものですがもう少しましな写真を探してみます。

【かずさんを偲ぶ!!】
いつもお世話になっている大分県の桐井さんより『先程、弟さんから「兄 一也は病気入院しておりましたが、この四月三日容態が急変し帰らぬ人となりました。」との訃報が入りました。』との通知を受け驚愕と強い衝撃を受けております。かずさんこと中山一也さんとは、直接お会いしたことはありませんが、いつも私たちの40年!!に書込みをして呉れていました。HPを通じてのお付き合いでしたがかずさんの発言、励ましの言葉等のかず語録を掲載してかずさんを偲びたいとおもいます。ご本人のお写真があればと思いましたが、今年1月10日に公開されたHPのなかからご自宅で丹精されているクレマチスの花をお借りしました。【クレマチスは春から初夏そして秋まで咲き誇る四季咲きの清楚な花
です。私は数年前から栽培していますが.楚々とした美しさと剪定の手法で興味が尽きません。】中山一也

ブラジル在住のサッカージャーナリスト沢田啓明さんのコラム(2)
ブラジル在住のサッカージャーナリスト沢田啓明さん(1955年山口県防府市生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。1986年来伯、サンパウロ在住)は、報知新聞のスポーツ報知に毎週ブラジルのサッカー情報を【カーニバルの熱狂】との題でコラムを掲載しておられますが、1寄稿欄に字数制限があることから3月24日掲載分からその(2)に移して掲載することにしました。寄稿集の125番目に「情熱のブラジルサッカー 華麗・独創・興奮」また211番目に「ジーコ 新たなる挑戦」の著書2冊を紹介させて頂いております。ご参考下さい。写真は、3月にサンパウロの炉辺ごんべいでブラジル国産の東麒麟に焼き鳥でサッカー論議を楽しんだ際に撮らせて頂いたものです。有難う御座います。

ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(上)(中)(下)ニッケイ新聞連載、4月9日、10日、11日の記事より。
=ある2世の不思議な体験=「地獄(カニエテ)で」死んだ仲間の供養を」、=一年で半数以上が病死=「棺桶が間にあわない」、=誇りとルーツを見直す場=ペルー日系人の心の故郷」の見出しによる3回に渡るニッケイ新聞の堀江剛史記者の現地ルポがブラジルより19年早い移住の歴史を持つペルー移民発祥の地カニエテ耕地と日本人墓地、今年三月九日にカニエテの慈恩寺で彼岸法要が営まれた際の様子等をリマ発として綴っておられる。『私たちの40年!!』でも移民について語るをテーマにしてバーチャル座談会を展開中ですが是非読んで頂きたいペルー移民の歴史です。
写真もニッケイ新聞よりサトウキビ畑の緑とは対照的な土色の丘陵地帯にある、青い空に白く聳え立つ慰霊碑「無縁塔」をお借りしました。

お世話になりました皆々さまへ 日伯交流協会玉井義臣会長からのお便り。
4月13日(日)に日本ブラジル交流協会の第23期生35名がサンパウロに着きました。4月15日(水)には南伯地方での研修をする3名がポルトアレグレに元気な姿で現れました。この3名がこれから1年間どのようにブラジルでの生活を自分に取り入れ感じて行くかをフォロウして行く積りですが、日伯交流協会の玉井義臣会長から本文掲載の挨拶文とともに「あしなが運動と玉井義臣」と言う岩波書店より出版された新刊書を届けて頂きました。
あしなが育英会のHPには『3月27日、岩波書店より、副田義也氏(金城学院大学教授、元筑波大学副学長)が10年の歳月をかけて取材研究された本『あしなが運動と玉井義臣』が出版されました。
世界まれに見る独特の発展を遂げた「あしなが運動」の歴史を克明にたどり、社会企業家としての玉井義臣(本会会長)と、その周辺の人物群像を描き出した1冊ですが、真の主人公は、遺児親子、遺児学生、あしなが職員、そしてそれを支え続けた「あしながさん」(ご寄付者)です。まさしく、「あしなが運動40年史」です。 』との開設が掲載されています。

能楽博士号持つ日系2世=東京芸大初の快挙=理論と実技をクリア=伯国への伝統芸術継承に期待-----------2月5日(水) 
ニッケイ二世で東京芸大で始めての能楽博士号を取得した続木初美エルザさんが 【BRASIL NEWS】ニッケイ新聞メルマガ版30号で紹介されています。続木さんは、『私たちの40年!!』HPでも何度もお世話になっているコロニアの映像作家岡村 淳さんの義妹に当たるとの事で岡村さんを通じて続木さんの写真を送って頂きこのHPでもご紹介する事になりました。【歴史六百年の伝統芸能楽ブラジルに接ぎ木出来るのは今後、この人しかいないかもしれない。】とのニッケイ新聞の期待の記載に私たちも見守り続けたいと思います。1月のポルトアレグレで開催された世界社会フォーラムの行事の一つとして能楽「加賀宝生」公演に通訳兼コーディネイターとして活躍されたそうですが、世界から集まった市長会議のエヴェントの一つとして開催されたため日系人への入場券配布がなく残念ながら本公演には行けませんでした。
現在は、ご主人のブラジル外務所勤務のご主人(在パラグアイ、ブラジル領事)と共に国境の町、パラグアイ国のシウダ・デ・レステ市に住んでおられるとの事でパラグアイの首都アスンシオンの町で撮られた写真をお借りしました。