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北米新報=米国日系移民始まりの場所=ベインブリッジ島の日本村跡=1883年に製材所で労働 ニッケイ新聞WEB版より
私たちの40年!! あるぜんちな丸同船者寄稿集には、各国の移住の歴史と云う欄がありハワイ移民、メキシコ移民の話は一部収録されていますが、北米アメリカの日系移民については収録されておりません。今回北米新報に米国移民始まりの場所=ベイブリッジ島の日本村跡=1883年に製材所で労働との記事がニッケイ新聞に掲載されていましたのでお借りして収録しておくことにしました。これからは、これらの各国の移民史も集めてホームページに残して行きたいと思っています。恰好な記述を見付けられましたら是非ご一報ください。
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勝ち組が殴り込み?!=報道されなかった事件=横井庄一新婚旅行の裏で=元総領事館 広報文化担当 坂尾 英矩 ニッケイ新聞WEB版より
サンパウロの総領事館が開設されて丁度今年で100年の歳月が流れたとのことで2015年8月に100周年の記念行事が行われている。その4分の1にあたる25年間間サンパウロ総領事館の広報文化担当として勤務された坂尾 英矩さんの取って置きの「忘れられない出来事」がニッケイ新聞に掲載されていたのでお借りして残して置くことにしました。
私も在ポルトアレグレ総領事館に移住、経済、政治担当の現地補助員として5年ちょっとお世話になったことがあり当時、カトリック大学の法学部で夜学生として頑張っていた頃を思い出し懐かしく思う。来年の2016年には笠戸丸から数えてブラジルに於ける日本移民108年を数える。あるぜんちな丸第12次航の我々も来年で54年、丁度ブラジルに於ける日本移民史の半分をこの地に生きて来たことになる。一体何をこの期間に残しえたか?いささか心もとないが、精一杯生きて来たことは、確かで胸を張るべきであろう。
写真は、総領事館に勤務していた時代の坂尾さんです。
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≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その4)
暫くお休みになって居ましたが、【想い出の記】連載(その4)をホームページに掲載して置きます。(その4)は、1954年前後の当時の青年群の動向と1954年にサンパウロのイビラプエラ公園で開催されたサンパウロ400年祭の準備等の秘話が含まれています。61年も前の事を良く覚えておられるものと感心しています。貴重な戦後移住史の一部を砂古さんの記憶を通じて残して置くことができるのはこのホームページの本領とするところです。
1回の掲載字数が1万語との制約があり≪思いつくままに(10)≫の前半を一緒に掲載させて頂いていますが、この連載も(その5)で終了予定です。
当時の貴重な写真が多数あるのですが、ブラジル書道界の大御所的存在の若松如空さんの若い頃の写真を敢えて選ばせて頂くことにしました。写真は、左から若松、砂古及び大田さんの写真だそうです。
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≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その5)
連載(その5)最終回は、1954年のサンパウロ400年祭のイビラプエラ公園における万国博覧会の日本グループの参加と日本館設立事業の準備後半と砂古さん御自身が見聞されたブラジル縁の有名人、芥川龍之介、谷崎潤一郎、大宅壮一、徳川一族、元皇族多羅間俊彦、君塚元大使のサンパウロにおける客死他コロニアの有名人との接触に付いて語って居られこれから面白くなるという1958年7月の結婚で一先ず終了との事で砂古独身時代の【想い出の記】で終了しその後の出来事に付いては、折に触れ気の向くままにまた語って頂くことにしてこの連載を終了させて頂きます。砂古さんコロニアの生き字引として初代君塚大使と共に飛行機で移住して来られ多感な独身時代の交遊録、貴重なお話を有難う御座いました。
写真は、コロニアの天皇と呼ばれた山本博士とも思ったのですが、やはりポルトアレグレのアルファンデガ広場で靴を磨かせている砂古さんの葉巻でも咥えさせたいポーズの青春の一コマで飾ることにしました。
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≪ボルガ河畔の十日間≫ 丸木英朗さんの寄稿です。
自らブラジル移民の成りの果てと公称して憚らないトロント在住の丸木英朗さんが、今回水泳世界選手権大会とマスターズ水泳選手権が史上初めて同時開催された会場となったタタールスタンの首都カザニにカナダ代表として参加、76歳―80歳のカテゴリーで年齢上のハンデイーをものともせず最年長の80歳で銀と銅のメダルを獲得されました。丸木さんの≪ボルガ河畔の十日間≫と題した紀行を送って頂いたのでこの寄稿集に収録して置くことにしました。
写真は、銀メダルを獲得し美女からメーダル授与を受ける際に取ったガッツポーズの写真を使用しました。今後も選手としての競技生活を継続するとの事でいずれ世界1の金メダルを授与すること間違いないのでその時にはまたお知らせします。あ楽しみに。。。
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『ブラジル戦後移民』 52年の記録 旧ホーム・ページの保存(42)
2015年4月4日に『私たちの40年!!』ホームページは、370万回のアクセスを記録しTOP PAGEの一部を書き換えましたが、10万回毎にTOP PAGEの一部を書き換えて来ましたが、380万回、390万回は、気が付かない間に通り過ぎてしまい更新のチャンスを失い400万回は、絶対にTOP PAGEを書き換える積りにしており12月11日にチエックした所3975211回で残り24789回で25日後の1月5日頃だと思っていたら12月15日にチエックしたら3994807まで急増しており残り5193回、週末には400万回と更新の準備を始めた矢先の今日12月16日午前10時50分にアクセスして見た所何と既に400万回を突破して4000328回を記録していました。急いで12月16日付でTOP PAGE一部書き換え作業と旧ホームページの保存(42)の作業をしました。今回も見過ごしてしまう所でした。危機一髪セーフとなり安心しました。
2002年5月11日の着伯40周年を記念して開設したホームページは、今回、400万回のアクセスを記録、実に42回のTOP PAGEの書き換えをしました。13年7ヶ月で400万回、1日平均817件のアクセスを記録している。前回の4月4日から数えると256日で30万回、1日平均1171回のアクセスが有ったことになる。大変有難い事です。今年の末には多分390万回を達成する事になるだろうとの予想をしていたが年末を待たず400万回を達成した。
毎回、写真を1枚付けているが、今回は、今回は、訪日時に函館山の山頂にあった師匠と仰ぐ伊能忠敬先生との面会記念に撮った写真を残して置きたい。
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「ヨセミテ日記」 015年11月1日〜15日 川越しゅくこ
あるぜんちな丸の同船者、私たちより1船後の第13次航でカリフォルニアに留学された川越しゅくこさんが53年後の里帰りをされた時の旅情溢れる暖かい「ヨセミテ日記」を送って呉れました。ホームページに残して置きたいと思います。
和田さん & 50年のみなさま しゅくこで〜す
たのしいビール談義で弾んでいるところをお邪魔してすみません。
今年の11月から2週間のカリフォルニアへの里帰り旅行について、書いておきたいと思いつつ、どんな風に書けばいいか、ぼんやりすごしていました。
やっとその気になって綴ってみました。(仮名を少し使いました)
「ヨセミテ日記」ビールでも飲みながら、年越しそばでも召し上がりながら、
楽しんでいただければ幸いです (まずくなったらお許しを)
よいお年を ♬
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第29回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2015/2016』を開始します。(その1)
2002年、年末に『私たちの40年!!』HPの5000件達成記念として始めたバーチャル座談会は、今回で第29回目で新春放談として13回目に成ります。毎年この時期にその年の出来事、来る年への抱負等をメンバー間で語り合い年末年始の挨拶の交換等にも利用して来ましたが、今年は、昨年と同じ12月第2土曜日の12日からから1月第2土曜日9日までの1ヶ月間の皆さんの年末年始の書き込みをバーチャル座談会として残して置きたいと思います。今年は、既に丸木さんより書き込みが送られて来ておりバーチシャル座談会の開催を促されていますが、愈々本日から開始します。
年末、年始行く年、来る年を見据えて何でも結構ですので自由にご発言下さい。これはと思う写真があれば一緒に送って下さい。HP掲載時に使用させて頂きます。
何時もの事ですのでお分かりと思いますが、ご発言の前か後ろに名前を明記して下さい。それでは皆さんの活発なご発言をお待ちします。
最初の写真は、早稲田の移住研の先輩、サンタカタリーナ州ラーモス移住地で着伯60年を迎えられる近藤博之先輩から逸早く年賀のお手紙を頂いているので写真でご紹介して置きます。
「人は歳月を重ねて老いるのではない。理想(夢)を失う時に老いるのである。若さとは、人生の有る時期の事ではない、心の在り方の事である。」 近藤博之 拝
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