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私の関わったブラジル、内山 勇(72歳)さんよりの寄稿です。
内山 勇(72歳)さんは、ご尊父、内山岩太郎さん(元神奈川県知事で戦前サンパウロ総領事、リオの参事官をされていた)がサンパウロ総領事として在勤中の1931年にサンパウロで生れ、戦後1956年より昨年まで46年に渡るブラジルとのつながりを持って来られた方で元丸紅ブラジル会社副社長、サルバドール出張所長、リオデジャネイロ支店長等を歴任されました。内山 勇さんから数回に渡り忌憚ないブラジルについての個人的な貴重なご意見を頂いております。こうしたブラジルに生きブラジルを理解しておられる多くの皆さんにブラジルを語って頂く事により私たちの生きてきた戦後ブラジル移住史が形作られていくのではないかと期待しております。内山さんが経験された日伯の経済交流の歴史と現状分析は、ブラジルに住む我々のとっても貴重であり私信に近いお便りを敢えて原文のまま掲載させて頂きました。これからも折に触れお便り頂ければと思います。写真は、少し見にくいですが内山さんが1956年4月3日に横浜を発たれる時に撮られた『祝 壮途』の如何にもお若い印象に残る笑顔をお借りしました。
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ホーン岬を越えた=66歳のヨットマン=持病の糖尿病と同居≠オながら=世界一周をめざす=札幌市の菊地さん、聖市に立寄り
ブラジルには、何時も車や自転車で世界一周を目指して日本からサンパウロにやって来ているようですが、今回は、札幌にお住まいの66歳のヨットマン菊地政之さんが持病の糖尿病と戦いながらの世界一周を目指しておりホーン岬を越えてリオ州のアングラ・ドス・レイス港に立ち寄り現在サンパウロで郷里と繋がりの深い北海道協会等に立ち寄り英気を養っておられるとの記事がニッケイ新聞に掲載されております。ご家族との連絡は、衛星電話を使用しロス、ハワイ、タヒチ等には奥様がお孫さんを連れて陣中見舞いしておられるとか2001年6月に小樽港を発ち2004年8月に帰港予定との事で三年間以上の年月を掛けての大冒険。
Boa Viagem !! Capitao Kikuti !!
お元気そうな菊地さんの写真もニッケイ新聞からお借りしたものです。
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もう一つの移民 中国文化中心の「日中基督教徒合同遠足」 吉田文彦さんの寄稿文
吉田文彦さんは、ブラジル工業移住者協会のHPの管理責任者でNAKAMAの掲示板を管理工業移住者の皆さんの連絡の場を纏めておられます。『私たちの40年!!』HPにもバーチャル座談会等を通じて積極的に参加して頂いており吉田さんが書かれた友情論には大きな反響が有りました。旅行好きで単に物見遊山でなく一つの目的をもっておられ何所に行かれても移民について、我々のルーツに付いて目を向けておられ必ず博物館、移民資料館等関係施設を丹念に見ておられその研究熱心さには感心させられます。今回は、カナダのカルガリー市の中華街の外れにある文化センター内にある博物館を訪問された時に見つけられた「日中基督教徒合同遠足」と書かれた横断幕の前に集まる30人ほどの写真とそれに纏わる移民の歴史への考察を纏めておられ貴重な寄稿文を画像掲示板に写真と共に貼り付けて呉れております。写真と共に寄稿集に転載して置きます。
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南米産業開発青年隊40年史 1956-1996
南米産業青年隊協会が刊行した40年史を同船者の隊員からお借りした。写真はその表紙ですが1956年6月9日サントス到着の第一次17名から私たちの同船者第8期生33名、1967年以後の飛行機による移住生を含めて総勢326名が南米産業開発青年隊員としてブラジルに渡って来ている。開発青年隊員は、日本を出る前の研修から到着後のパラナ州の訓練所生活等を通じて仲間としての強い絆を育て現在もその団結は、『私たちの40年!!』HPでも取上げている他の移住者団体例えばコチア青年協議会、南米工業移住者協会、星座の会、花嫁移民等と共に特異な存在となっている。40年史刊行当時の吉田茂治会長の『40年史刊行の辞』と私たちの同船者の一人牧 晃一郎さんの2001年7月に書かれた『青年隊ビジョン「今から始まる」』を下記に掲載して置きます。もっと早く掲載したかったのですが、タイプアップが出来ずそのままになっていたのをこの4月より日伯交流協会の第23期研修生としてポルトアレグレで研修している檀野 令奈さんがタイプアップして呉れました。檀野さん有難う御座います。
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ブラジルサッカー研修
神戸にお住まいのハンドリングネーム野掛けさんのご子息が大学1年生の時、夏休みを利用してパルメイラスのジュニオールでトレーニングをした経験があるとの事で是非何か当時の思い出を綴って欲しいとお願いて置いた所、5月31日付けで画像掲示板にジュニオルバイアーノと撮った写真等と共に送って下さいました。色々な形でのブラジルとの付き合い触れ合いが日伯交流、私たちと同じ時を共有した仲間たちの歴史を綴って行きます。椎谷 陽さん有難う御座います。これからも続編をお願いします。画像掲示板の遣り取りを書き残して置きます。『夢を見る事が出来れば夢は実現する』その通りだと思います。
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「消えゆく神戸」の情緒を描く/徳永卓磨さん《朝日新聞5月8日版より》
神戸高校の親しい友人山本啓詔君からFAXで上記「消えゆく神戸」の朝日新聞の5月8日版MAY TOWN兵庫に掲載されていた記事をFAXして貰った。徳永卓磨さん(63)との記載にひょっとして同級生?との閃きがあり確認した所、「お前徳永を覚えていないのか三年九組で一緒だったではないか。美術部の部長で活躍していたのに。。。」と呆れ顔のお叱りを受けた。早速45年前の卒業アルバムを探し出して見てみるとちゃんといるではないか。幾ら芸術、文学、美術心が薄かったとはいえ記憶の不正確さに驚いたが写真を見れば色々思い出した。「消えゆく神戸」の情緒を描く徳永画伯が同じ机を並べていた同級生である事を誇りに思うし機会があれば是非会って見たいと願っている。卒業アルバムの美術部のセピア色に褪せた45年前の写真を掲載して置きます。後列左端が徳永卓磨君です。この記事を送って呉れた山本君は、同窓会中の一番の消息通で45年以上前の私の覚えていない事実を《好司・17歳・神戸》と題して寄稿集55番目に暴露している。
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【日本人の血2】 柊 治郎さんの書き下ろしパート2
前回、【日本人の血】として作家 柊 治郎さんにメキシコの榎本移民に付いてを書き下ろして頂きましたが(寄稿集238番目に掲載させて頂いております)、今回また『ちょっと時間がありましたので、先に書きました「日本人の血」のパート2を書いてみました。』とのお便りと共に次のような文を送って頂きました。
「前回の随筆【日本人の血】に、1613年10月20日にサン・フアン・バウチスタ号でメキシコに向けて出発した支倉常長一行180人のことについて書いた。
今回は、それよりも20年ほど前の秀吉の文録・慶長の役の際に、朝鮮側に寝返った1人の日本人武将とその子孫の数奇な運命について、書いてみたい。」
柊さんは、お忙しいお仕事の傍ら山に挑戦され作家としての活躍も目覚しく、最近の力作廣済堂ブルーブックス 【特命裏監察 悪党狩り】を上製されている。地球の裏では、手に入り辛いだろうとの思いやりから郵送して下さっているとの事で楽しみに待っておりますが、表紙だけでもと思いアマゾンCOMよりお借りしました。
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「南米の思い出」 青柳三郎さんの寄稿
掲題「南米の思い出」は、ハッピーシニアライフネット(さいたま市の柿沼 實さん主宰、実質会員400名のML)を通じてお知り合いになった新潟県にお住まいの青柳三郎さんにお願いした書き下ろし寄稿が寄せられてきました。30年近く昔の1974年に南米旅行をしておられその時の思い出を綴って頂いたのですが、印象が強烈だったのか昨日の出来事のように描写しておられペルのリャマの絵画、今回HPトップに飾られたブエノスのタンゴ発祥の地ボッカ地区を描いた「カミニートの街角で」を完成されております。写真はHPからお借りした同作品です。青柳さんは、日伯児童画展を20数年前に実施されたとの事で日伯交流に気を使って頂いており今後も長年温めておられるイグアスの滝をモチーフにした大作を手がけるとの事ですのでその完成を待ち望んでいます。青柳さんの絵画鑑賞のためにHPに相互リンクさせて頂く事にしましたので是非ご覧ください。
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