ミナスゆっくり鉄道の旅(1)―(6)サンパウロ新聞、山口貴史記者の署名記事。 サンパウロ新聞のWEB版に山口貴史記者の【ミナスゆっくり鉄道の旅】と題した記事が六回に渡って掲載されていた。エスピリトサントス州都のヴィットリアからミナス州都ベロオリゾンテまでの905kmの鉄道の旅の紀行文です。普通はミナス州の鉄鉱石を積み出し港のヴィットリアまで運ぶ鉄道ですが一部同じ線路を使用して客車もあるようです。感受性の強い若い記者としてポルトアレグレにも昨年の南伯の戦後移住五〇周年記念祭にも取材に来られた見知りの期待記者、彼のゆっくり鉄道の旅を追ってみました。時間が許せば私も是非乗って見たい鉄道の旅、現在は使用されていないが一九三〇年のゼッツリオ・ヴァルガスの革命軍は、ポルトアレグレからリオまで一ヶ月を掛けて汽車で北上したそうですが、途中何度か汽車を乗り換え革命運動の動きを見ながらの北上だった。鉄道より道路、道路より飛行機が発達したブラジルですがリオーサンパウロを繋ぐ夢の新幹線【弾丸列車】が実現するかも知れないと鉄道への夢は広がる。 写真は、サンパウロ新聞の掲載分の一つをお借りしました。 笠戸丸第一回移民物語取材日記 FDP記録映画製作所 サンパウロ新聞WEB版より。 FDP記録映画製作所では、2008年のブラジルの日本移民100周年に焦点を合わせて笠戸丸第一回移民を取り上げて記録映画を製作しておりその完成が待たれますが、今回サンパウロ新聞に笠戸丸が1908年に初めての日本移民781人が到着したサントス港の第14倉庫の現在の様子を映像に納める取材日記を掲載しています。ブラジルならではの取材、撮影許可取得の手続きの煩雑さ(責任の盥回し)等の苦労話、逸話をふんだんに披露、最後はこれ又ブラジルらしいアミゴ(友達と言うよりコネ)の有り難さでサントスの警察署長自信の案内で笠戸丸が99年前に着眼したアルマゼン14号付近の撮影ができたとのこと。今後2008年の日本移民100周年祭関係の話題が増えて行くことから新たに『日本移民100周年の話題』の欄を設けることにしました。その第1号に取り上げました。 写真もサンパウロ新聞掲載分からお借りしました。 〃世紀の旅行家〃=岡田芳太郎の謎=連載(上)(中)(下) ニッケイ新聞堀江記者署名記事。 ニッケイ新聞の敏腕記者、移住者関係記事を書かすとその才能が光る大好きな記者の一人堀江剛史さんが笠戸丸移民以前にブラジルに足を踏み入れた世紀の旅行家岡田芳太郎の謎に迫る。三回に分けての連載記事がニッケイ新聞に掲載されています。『〃世界徒歩旅行家〃と自称し、二十世紀初頭に北米、ヨーロッパ、中南米を三十年かけて旅行した日本人がいた。その人物の名は岡田芳太郎。一九〇六年にブラジルに入国、南米各地を歩き、一九三三年、聖州レジストロで客死している。享年五七歳。』堀江記者は、岡田芳太郎のブラジル日本移民資料館に残された日記八冊を紐解きその謎の解明に挑む。まだまだ知られない笠戸丸移民以前の日本人も存在するようです。それらの先達にも一〇〇周年を前に日を当てて見る必要がありそうですね。関係記事を今後とも拾って行きたいと思います。 写真は、ニッケイ新聞に掲載されていた岡田芳太郎さんです。 カブラル知事が名誉総裁に=リオ州=百周年記念委員会が正式発足=300人参集、地元メディアも関心 ブラジル全国、各地で日本移民一〇〇周年の行事が2008年6月前後に開催されるが、サンパウロ州以外でもパラナ州(クリチーバ、ロンドリーナ、マリンガ)が独自の行事を検討しているが、リオ州でも百周年記念委員会が正式に発足したとのニュースがニッケイ新聞に掲載されている。 『リオ州政府、在リオ・デ・ジャネイロ日本国総領事館共催の日伯交流年・リオ州日本移民百周年記念委員会の発足式が十八日夜、市内ラランジェイラ区のグアナバラ宮で挙行され、同委員会の名誉総裁であるセルジオ・カブラル州知事、福川正浩総領事、リオ州日伯文化体育連盟の鹿田明義理事長を始め、州政府、市、財界、日系団体関係者ら約三百人が参集した。』とのこと。地元メディアも関心を示しているとのことでリオ州独自のお祝いが計画されている。 写真もニッケイ新聞のWEB版よりお借りしました。 『実業のブラジル』誌掲載の南伯便り 【南の国境から見たブラジル】(その2) 昨年九月号より『実業のブラジル』誌に南伯便り【南の国境から見たブラジル】を掲載しています。毎月末にその月に起きたブラジル南部及び国境を接するウルグアイ、アルゼンチン等の動きを簡単に纏めて送っていますが、地元紙2紙、全国版の経済紙を毎日購読しており関係記事をファイルしている。詳細は紙数の関係で取り扱えないが結構毎月楽しんで書いている。三月号連載七から八月号連載一二までを(その2)として『私たちの40年!!』HPにも残して置くことにしました。 写真は、『実業のブラジル』五月号の表紙です。 聖市議会に百周年委員会=移民の日にあわせ発足式 連邦政府ベースの動きとして「6月14日、ブラジリアイタマラチー宮にて日本移民100周年事業を含む2008日伯交流年伯政府実行委員会が正式発足しました。」とブラジリア在住の河野賢二さんがBATEPOAPOのMLに報告しておられますが、今回日本移民99年の移民の日にサンパウロ市議会にも百周年委員会が設置されサンパウロ市に置ける100周年祭の行事を支援することに成ったとの報道がニッケイ新聞WEB版に掲載されています。サンパウロと別に独自に100周年行事を検討しているパラナ州、リオ州等でも同じような支援団体として続々と名乗りを上げており1年を割り込みカウントダウン段階に入った日本移民100周年の話題を今後拾って行きたいと思います。写真は河野さんが送って呉れたブラジリアの会議の写真をお借りしました。 6月18日は海外移住の日 光田 靖さんからのお便りです。 神戸にお住みの光田 靖さんが【6月18日 海外移住の日】との書き込みを『私たちの40年!!』メーリングリストに寄せて呉れました。その中に福娘童話集の【ぼうけんしたリス】と言う示唆に富んだお話も紹介してくれています。海外移住の日に因んでの早川清貴さんんの【移民の詩】5首を紹介します。移住者としての目線で眺め詠った早川さんの詩には我々移民の心情が感じられます。又ニッケイ新聞の【白寿を迎えた日系社会】のニュースと共に記録して置きます。 写真は、神戸のOFF会で撮らせて頂いた光田さんです。 『ブラジル戦後移民』 45年の記録 旧ホームページの保存(13) 2007年2月17日に『私たちの40年!!』ホームページが50万回のアクセスを記録しましたが、その時にTOP PAGEの一部を書き換えました。この度、60万回アクセスの日にTOP PAGEを書き換えますのでいつもの通り50万回で書き換えたTOP PAGEを保存して置くことにしました。5年2ヶ月弱、良くここまで続けて来られたなと感心します。1年後の46年には現在の一日1千件をキープして行けば100万回アクセスも視野に入って来る勢いです。最近ではこれと云ったPRをする事なくコンスタントに毎日世界中からのアクセスが記録されています。少々恐ろしい感じもしています。 写真は、ことの始まり我が愛しのあるぜんちな丸の勇姿を使用する事にします。この写真は、私たち第12次航の681名を南米に運びその帰路パナマ運河のバルボア港沖合で撮って呉れた貴重なものです。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207