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第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その9=最終編)
(その9=最終編)は、最後は、年末年始の大きな出来事だった前田さんの胆嚢摘出手術とその後の癌細胞発見、抗癌剤使用で締める事になりましたが、ニッケイ新聞のコロニアの年末行事の餅つき、文協の年賀祝賀会の記事も一緒に残して置く事にしました。和田個人としては、3年目に入る4000万歩への道程を残して置きたいと思います。お陰さまで新年の1月は、月刊50万歩を(1日平均16129歩)が達成できそうです。と云うことでその9=最終編の写真は、1月2日、75歳の誕生日の日に撮って貰った好きな『黄色いハイビスカと私』で飾らせて貰いたいと思います。
多くの皆さんの参加、協力に心より感謝します。何時の日かこの年末年始の語らいを紐解く時が有ればどんな気持ちになりますかね?
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≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その1)
『私たちの50年!!』のMLメンバーには、特異な方が参加されており戦後移住史を語るに相応しい方がおられます。ブラジル在住63年目を迎えられる砂古友久さんにお願いして≪思いつくままに≫と題して戦後日本とブラジルが外交関係を復活させ初代大使として1952年に赴任して来られた君塚 慎大使の私設秘書として大使赴任に同行飛行機移民として戦後移住者の第1号的な歴史に残る方から戦後政府計画移民第1号のさんとす丸の処女航海をリオに君塚大使と共に出迎えれた砂古さんの『想い出の記』1,2,3とコメント集を(その1)として纏めました。
使用する写真に迷いましたが、砂古さんの飛行機のタラップで両手に荷物を抱えシルクハットを被ったままの写真をと思ったのですが、やはり公共性の観点から初代ブラジルの君塚 慎日本大使の砂古さんがパケタ島に遊ぶ大使を馬車の中で日本から持参した蛇腹のカメラに収められた貴重な写真を使わせて頂く事にしました。
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2015年新年の富田さんの5229km8日間の北米「半」横断の旅(その1)
小話でお馴染みの富田さんは、2015年の新しい年を迎えるにあたり息子さんとお孫さんの3人でサンディエゴ、ラスベガス、グランド・キャニオンを8日間、走行距離5229キロのアメリカ合衆国「半」横断の旅を楽しまれその旅行記を送って呉れています。多くの皆さんのコメントも含めて『私たちの40年!!』寄稿集に2回に分けて収録して置きたいと思います。今回は、サン・ディエゴとラスべスのレポートとコメント集を収録しています。写真は、富田さんのレポートに素敵な写真が満載なのですが、色々迷いましたが、やはりお孫さんの大学生シャミさんとラスベガスの夕食時に撮られたツーショットを使わせて貰う事にしました。
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【出会い……農大・人・文学】 芝田可行(62年農学)夫人 芝田茂子
第1回の学移連ブラジル研修生派遣団の副団長としてブラジルに実習見学に来られた東京農大の芝田可行さんの奥さま芝田茂子さんから芝田先輩の7回忌に書かれた文を送って頂いた。芝田さんが急逝されて既に22年が過ぎましたが奥さまは、お元気で好きな書道に精進され、俳句、和歌を読まれ芝田さんが残して行かれた人脈を大事にしながらクリチ―バでお一人で住んでおられる。3人のお嬢さん達は、長女が北海道大学に留学中に知り合った方と結婚して日本に住んでおられ次女の方がブラジリア、3女の方がベロオリゾンテに住んでおられブラジリアのお孫さんは、昨年日本語弁論大会のブラジリア代表としてポルトアレグレの全国大会に来られたました。芝田夫人とは、1962年のあるぜんちな丸で到着した直ぐにサンパウロのボンスセッソで新婚ほやほやの時にお会いし芝田さん達が入植されたポルトアレグレ近郊のヴィアモンの農場、その後移られたラーモス移住地と長いお付き合いなります。
恵子が書道を始めたのも芝田さんを通じて北辰の石川爽香師範を紹介して頂いた経緯があり親しくさせて頂いています。
写真は、御家族で撮られた写真を送って頂いているので2枚の内の1枚を使用、残りはBLOGに掲載する事にしました。
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川越 しゅくこさんの【アメリカン青春グラフィティ】 (その21−その24)
川越 しゅくこさんの【アメリカ青春グラフィティ】その24が届きましたので21からの4回分を纏めて寄稿集に収録して置く事にしました。
今回は、あるぜちな丸での渡航中に身近に見られた黒人差別の心ない白人夫人とそれを大人しく受け止めた黒人女性の態度を語りながらJFK大統領とキング牧師の非暴力デモ行進、カリフォルニア留学時代の出来事と50年後のオバマ大統領選出の現在との時の移りを語っている。いずれの短編も感受性の強い20歳代のしゅくこさんの味覚、視覚、嗅覚を通しての青春の想い出を伝えて呉れています。我々が乗って来たあるぜんちな丸の第12次航より一船後の13次航でアメリカに渡られた同世代のしゅくこさんを通じて青春を共有できるのを嬉しく思います。
写真は、その23回に掲載された【スカンポ】を使わせて貰いました。
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≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その2)
『私たちの50年!!』のMLメンバーのお一人、砂古友久さんに戦後移住史の神代の代に当たる戦後初代ブラジル日本大使の君塚 慎大使の私設秘書として飛行機移住?してえ来られた砂古さんに連載で当時の御話を聞かせて頂いており今回はその4)と5)を収録させて頂きました。メンバーの皆さんの驚きと強い興味を引く御話にコメントが飛び交っており砂古さんだけの【語り】と共に皆さんのコメントを残して置くのも貴重な財産との捉え方で総て収録している為に2回分しか収録されませんでした。
貴重な写真を送って頂いておりどの写真を掲載するか迷うのですが、今回は、迷わずに若き砂古さんの華やかな女性軍に囲まれた写真を選びました。
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2015年新年の富田さんの5229km8日間の北米「半」横断の旅(その2)
富田さんの年末年始の北米「半」放談の旅の「グランドキャニオン」編と「化石の森と白い砂漠」編をコメント集と共に寄稿集に収録して置く事にしました。走行距離5229kmを一人で運転されたカーマニアの息子さん、大学生のお孫さんとの3代に渡る富田家の男達の旅は快適だったようです。皆さんのコメントも面白く記念になる旅の記録を喜んでおられるのではないかと思います。旅先での写真は、BLOGの方で見て頂けると思いますが、広々としたアメリカ大陸の雄大さを感じさせて貰えました。話題のグレーハウンドバスには是非乗って見たくなりました。名札に何と書けば良いか?など想像しています。写真は、富田家3代の皆さんのグランドキャニオンの落日をバックにした記念写真を使わせて貰いました。
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≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その3)
砂古さんの≪思いつくままに≫(6)リオ編最終と(7)サンパウロに舞台を移しての第1回に当たり戦後移住が始まり戦前のブラジルに残られた方からジャパンノーボ(日本から来た新来青年がこう呼ばれていた)への移行の時代に青春を謳歌された新来青年の当時の様子を活写しています。少し時代がずれますが、ブラジルに来た頃の1962年頃と重なります。呼び寄せ移民、コチア青年、産業開発隊員、花嫁移住者、土地を購入して遣って来た計画移住者、炭鉱離職者、まだ海外から引き揚げて来た潜在移住希望者がいるころで我々の乗った1962年3月の第12次航あるぜんちな丸が最後の大型移住者運搬で681名の同船者がベレン、サルバドール、リオ、サントスで下船(ブラジルとボリビア組)、最終港ブエノスアイレスでアルゼンチンとパラグアイ組が下船しました。砂古さんの≪思いつくままに≫を参照しながらお話しに付いて行ければと期待しています。
CASA東山で執務中?の若かりし頃の砂古さんの写真をお借りしました。恰好が良いですね。
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