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ラーモス移住地に戻られた早稲田大学海外移住研究会の近藤先輩を訪ねました。
サンタカタリーナ州のリンゴの里と呼ばれているラーモス移住地の九月七日の《桜祭り》に参加するために出掛けましたが、州都のフロリアノポリスからクリチバーノスの近くにあるラーモス移住地に最近戻られた近藤先輩を訪ねました。お嬢さんが嫁がれた工藤家の移住地内の実家が現在空き家になっており『お父さん管理して置いて欲しい』との依頼を受け、移り住んだようです。毎日田舎道を数キロ歩いておられるとの事でお元気そうでしたが矢張りお一人の生活は寂しそうでした。時間を見付けて陣中見舞いに行って上げると喜ぶと思います。
近藤先輩より頂いたお手紙と近藤さんがサンパウロ新聞の読書ルーム9月22日版に投稿された『ラーモスと剣道』と言う文をワードに叩き直し掲載して置きます。
写真は、ご自宅の前にある大きな桜の春を告げる花の下で撮らせて頂いた一枚です。
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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=下元健吉没後50周年=
日伯交流年(日本移民百周年)開始まであと三カ月あまり。いよいよ歴史的な節目が迫ってきた。日系人がブラジル社会への貢献は多岐や分野にわたるが、とりわけ農業分野においては特筆すべきものである。
なくなったとはいえ、コチア産業組合はブラジル農業界に大きな足跡を刻んだことに間違いはなく、今も切り離された幾多の地方農協が活発に活動している。まるで熟した果実が樹木から自然に落ち、あちこちに新たな芽を出しているように見えないだろうか。
農業界の象徴的人物として、本日二十五日に五十周年忌を迎えた下元健吉を取り上げ、外山脩氏に連載「コチア産組=新社会建設=創立者の光と影」を依頼し、明日二十六日付けから第五面で掲載を開始する。
今連載では、下元を巡る様々な意見を丹念に集め、「アンチ派」「敬遠派」「敬愛派」の三つの角度から、その傑出した人物像を多角的に浮き彫りにし、県人性と組合のあり方などに深くメスを入れた。これを機に、さらに日系人の伯国社会への貢献に光が当たることを期待したい。(編集部)
写真もニッケイ新聞WEB掲載されているのをお借りしました。
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人物探訪: 武人の母・松尾まつ枝 国際派日本人養成講座より
私が購読している幾つかのメルマガの一つ国際派日本人養成講座は、何時も参考になるメルマガとして愛読しておりますが今回、掲題の武人の母・松尾まつ枝さんに付いての「武人の母の振る舞いはオーストラリア国民の間に感動と賞賛を引き起こした」の記事は、転送歓迎とのことですのでこの『私たちの40年!!』HPにも紹介させて頂き多くの皆さんに読んで頂きたいと願っています。
亡き息子をオーストラリアに訪ね、帰国後松尾まつ枝さんが語られたという「戦争が好きな者はいません。しかし外国から無理難題をいわれれば、やらなければならない場合もあります」と答えたとの記述「戦争がいやだというだけで、日本が護れましょうか」ともらしているとの事、考えさせられます。
現在オーストラリアでお世話になっている末娘、小百合にもこのオーストラリアの首都キャンベラ市の南郊エインスライ山中腹にあるというオーストラリア戦争記念館を訪問するように伝えたいと思います。
写真は、名越二荒之介さんが書かれた「大東和戦争を見直そう −アジア開放の理想と花開く武士道物語」の表紙をAMZON COMからお借りしました。
国際派日本要請講座メルマガ主宰の伊勢雅臣さん有難う御座います。
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沖縄県民の真の記録 サンパウロ新聞WEBより
ブラジル日本商工会議所のコンサルタント部門のメンバー中心としたメーリングリストBATEPAPOの主要コメンテーターとして健筆を振るっておられる赤嶺 尚義さんの書かれた文は、いくつもこの『私たちの40年!!』でも収録させて頂いておりますが、この度、赤嶺さんの奥様の赤嶺礎乃子さんが笠戸丸移民781名の48.1%、325人を占める同郷沖縄出身者の正式な記録を残すための資料調査を母校の琉球大学移民研究センターで実施したとの嬉しいニュースがサンパウロ新聞のWEB版に掲載されていました。『私たちの40年!!』に新しく設けた【ブラジル日本移民100周年関係ニュース】欄に収録させて頂くことにしました。
私はまだ直接お会いしたことがありませんが日本語教師、沖縄県人会役員としてご活躍しておられる赤嶺夫人の写真をサンパウロ新聞からお借りして掲載して置きます。
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皇太子殿下ご来伯決まる サンパウロ新聞WEB版より
10月17日のNHKの朝のニュースで2008年6月18日の『ブラジル日本移民の日』に行われる日本移民百周年記念式典・行事に皇太子殿下がブラジルを公式訪問するとの嬉しいニュースが流れていました。本日のサンパウロ新聞WEB版にも逸早く報道されています。サンパウロ新聞のWEB版掲載の記事と皇太子殿下の写真をお借りして掲載して置きます。
コロニアの各界の関係者の声も添えられておりブラジル各地の百周年記念行事がこれで一挙に具体化し盛り上がって来ると思われます。
地元ポルトアレグレでは、ポルトアレグレ総領事館がクリチーバ総領事館の出張駐在官事務所に格下げになってからは、独自の行事も時期をずらした9月に実施する予定になっており中央に置ける皇太子殿下を迎えての諸行事を遠くから見守ることになりそうです。
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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=下元健吉没後50周年=(その2)
2007年度のブラジル日本文化福祉協会(文協)のコロニア文芸賞を獲得した「百年の水流」を書かれた外山 脩さんがコチア産業組合創設者の下元健吉さんの没後50周年を記念して掲題の連載記事をニッケイ新聞に掲載しておられます。コロニアが生んだ偉人とも云える下元健吉さんに焦点を合わせその光と影を再述しています。「百年の水流」にも取上げられていますが、一人の人物を取上げる際の客観的な評価が大いに違うという興味深い点を克明に調べ上げて記録されておりジャナリストとしての外山流が冴える一文です。それにしてももう50年にもなるのですね。下元健吉さんがなくなってから。。。産業開発青年隊の皆さんからは、父として尊敬されていますが、我々の同船者の皆さんは直接訓育を受けていないのですね。下元さんの胸像を何処に置くかで問題を起していましたが。。。
外山 脩さんの渾身の作「百年の水流」が2007年度のコロニア文芸賞を獲得しており11月9日に日本文化福祉協会の貴賓室でその授与式が行われる。外山さんから送って頂いた招待状を添付して置きます。
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【世界を制覇したブラジルのオレンジジュース工業】 麻生 悌三さんの寄稿です。
『私たちの40年!!』メーリングリストのメンバーのお一人である麻生 悌三さんは、1938年12月3日生まれで東京農大在学中の1960年8月に農大海外実習生として渡伯、1961年卒業と同時にブラジルに移住、アマゾンで5年間奮闘後サンパウロに転じる。日系商社数社を渡り歩き、最後は伯国三菱商事(食品部)に18年間勤務後2003年定年退職、爾来、日本向けブロイラーの輸出仲介を手がける。(麻生さんご自身が書かれ略歴の要約)。
麻生さんは、私より2年先輩でブラジルにも2年先に来伯しておられますがほぼ同じ時代を日本とブラジルで過ごして来ておられ商社勤務が長く同じような仕事をして来られており共通の友人も多くサンパウロに出ると気安く一献傾ける仲間の一人です。先日写真を撮らせて貰った時に折角だから何か寄稿集に送って欲しいとお願いした結果が今回の寄稿に繋がりました。三菱時代に手がけておられたオレンジジュースの輸出に関連してのサクセスストーリーです。現在でもブラジルのブロイラーの仲介で活躍されています。
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熊本県人会訪日団、母県と交流(上)、(中)、(下) サンパウロ新聞WEB版より
ブラジル熊本県文化交流協会は、熊本賢人ブラジル移民百周年及び賢人会創立50周年を記念して76名からなる『熊本県ブラジル交流親善使節団』を母県に送ったとの記事をお馴染みのサンパウロ新聞福岡支局長の吉永拓哉記者が3回に分けて報道しておられます。日本におけるこの種行事の取材には必ず取材記事を送って呉れておりブラジルを良く知る数少ない貴重な記者としての吉永さんの存在は大きい。
笠戸丸移民の中に熊本県人が78名いたとのことで移民監督官として乗船していた上塚周平氏は、上塚植民地を拓き『移民の父』として敬われており郷里の熊本に銅像が建立された。
写真は、サンパウロ新聞連載2日目の上塚周平像の除幕式のものをお借りしました。
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