 |
『実業のブラジル』誌掲載の南伯便り 【南の国境から見たブラジル】(その10)
【南の国境から見たブラジル】を実業のブラジル誌に掲載し始めて丁度5年になりました。地元紙から南伯ポルトアレグレを中心とした動きを簡単に拾い纏めるだけのコラムですが、私なりに気に入っており楽しんでいます。今回は、55回から60回までの掲載予定でしたが、7月号に特別寄稿として2ページのスペースを増やして頂き「南伯日本商工会議所6月例会は、ぺロッタス、リオグランデを訪問。」として南伯日本商工会議所の概要とペロッタス、リオグランデの町の訪問時の報告を掲載して頂きました。RS州の南半分として経済開発に力を入れている地域の中心地でかっては州内第2の都市として繁栄していたペロッタスの町と一体になり州内で一番活気がある町、ぺトロブラスの深海油田用の大型プラットフォムを製造する造船所とその付属工場で賑わうリオグランデの港町を紹介させて頂きました。
何時もは、実業のブラジル誌の表紙を掲載写真として使用していますが、今回はリオグランデ港の造船所のドックヤード前で撮ったペトロブラスから送られて来た公式写真を使用する事にしました。
|
|
|
 |
山下晃明のブラジルで損せぬ法(269)、(270)、(271)5月、6月、7月号
山下晃明さんのブラジルで損せぬ法のバックナンバーを『私たちの40年!!』HPへの掲載作業は、やっと1年間の遅れまで取り戻しました。8月初めに掲載するのが昨年の5月、6月7月号です。昨年の7月号の書き出しに下記記述がある。『この連載は本来警告調が目的であるから常に辛口ではあるが、いくら調子がよいからと手放しでブラジルの将来を見ていてはならないと思う。ブラジルを楽観視できる人は、今の時代に世界一高くて複雑な税金、世界一の実質金利、異常なレアル高と時代離れした労働法下でも世界の列強と競争できる大変よい職種をお持ちの方か、または大変な自信家である。もし基礎条件だけを冷静に見ると新規投資はおろか進出もすべきでないほど最悪なのである。』好景気だと云われるブラジル経済 への警告はまさに時宜を得ている。諸問題を内蔵している事は確かだがそれでもブラジルは伸びると私は信じたい。
写真は、山下さんが住むリオのコパカバーナ海浜にあった「砂上の楼閣」を使用する事にしました。
|
|
|
 |
領事の手記 「皆の願い、天まで届け」 木村 元(はじめ)ポルトアレグレ出張駐在官領事当時の手記を見つけました。
ポルトアレグレ総領事館がクリチーバ総領事館の出張駐在官事務所に格下げされて最初の在ポルトアレグレ出張駐在官事務所の領事に就任された木村 元領事は、ポルトアレグレ在勤中は、色々在留邦人に気を使われ杉浦和子さんが女性だけの長唄のお師匠さんたち15名を日本とサンパウロから連れて来られてカトリック大学の日本文化研究所主催で公演を実施した際に地元新聞への広告が効きすぎて廊下まで溢れる観衆が詰め掛けて謝っておられたのが印象に残っていますが、我々在住邦人がまったく知らなかった木村領事在任中のエピソードが外務省のホームページ報道・広報欄に《領事の手記》として残されているのを見つけました。
木村領事には日本移民100周年の日本での祝賀のセレモニーの際にもお世話になっており現在リオの総領事館で主席領事として活躍しておられます。
『私たちの40年!!』の寄稿集にも収録し関係者に是非読んで頂きたいと思い写真と共に全文を転載させて頂くことにしました。
|
|
|
 |
【希望大国ブラジル】 産経ニュースWEB版より(第2部)
2011年に入って日本でのブラジル関係の話題が特集として取り上げられているが、産経新聞の【希望大国ブラジル】は、現地取材を基にした読み応えのある連載として非常に評判がよい。現在第4部まで掲載されBLOGでも毎回転載させて頂きメ―リグリストでも流していますが、今回第2部を『私たちの40年!!』ホームページにも収録して置くことにしました。産経新聞の説明では『地球の反対側で興隆する大国、ブラジルの実像を伝える連載の第2部は農業や鉱業、石油といった資源をめぐる現状を報告する。』との事。日本が国力を注ぎ込み開発したセラード開発の結果は、その果実、恩恵は、そっくり中国に持って行かれその陰にコチア産業組合、南伯産業組合等を瓦解させ呑み込んでしまった事実も記載している。
写真は、『かつて不毛の大地だった「セラード地帯」。円形農地が並ぶ世界有数の穀倉地帯へ生まれ変わった=ブラジル・ミナスジェライス州』の説明文が付いている同紙の写真を使用しました。
|
|
|
 |
『私たちの40年!!』メーリングリスト2万回の書き込み達成
平成23年8月23日(火)朝の8時25分に丸木さんが投稿された記事が実に2万回目の投稿になりました。
思えば2004年7月に開催され丁度7年と1ヶ月(85ヶ月)になります。この間、単純平均で月に235通、毎日7-8通のメールが飛び交ってきました。一番多く投稿されたのは2010年3月の467通です。一番少なかったのが開設当初の2004年7月の46通を記録しています。
8月23日20005回目の下記投稿で皆さんにご意見を聞かせて頂けたらと願っていましたが、前田さんが云われるように『言わずもがな』とのお気持が大半のようで余り反響がありませんでした。
それでも石田さん、吉田さん、前田さん、内田さん他数名の方にコメント頂いておりこれを『私たちの40年!!』寄稿集に纏めて収録して置くことにしました。この間、関係のメール等も一部一緒に収録して置くことにしました。
写真は、2万回目の丸木さんの投稿記録です。
|
|
|
 |
戦後66年の証言記録(1)から(7=終) サンパウロ新聞WEB版より転載
第2次世界大戦が終わってから今年で66年になります。終戦は私が5歳の時だったのですね。神戸の元町で防空壕に入ったり近くの家に焼夷弾が落ちたりとおぼろげな記憶しか残っていませんがブラジル日系社会にもまだ終戦を経験した方がお元気にしておられるとの事でサンパウロ新聞で5人の方の生き証人を取材して7回に分けてレポートしています。『私たちの40年!!』のメーリングリストにも転載させて頂いた所、吉田さんから台湾人の黄振欽さん(75)へのコメント、荒木さんからは、ベロオリゾンテにお住みの島袋 実さん(83)の最近の写真を送って頂きました。より身近な存在としてこれらの戦争体験者のお話に耳を傾ける機会がありました。コメントも含めて寄稿集に収録して置きたいと思います。
写真は、荒木さんに送って頂いた島袋 実さんの近影を使わせて頂きました。
|
|
|
 |
麻生悌三のブラジル不思議発見 22 移入鳥−イエスズメ
麻生悌三さんのブラジル不思議発見、9月号は、身近にいるスズメとイエスズメのお話です。ポルトアレグレでも雀を見かけますが、これは日本の雀でなくポルトガルより移入されたイエスズメとの事。雀とイエスズメは、交わらないとのことで体系の大きいイエスズメが雀を駆逐しつつあるとの事。日本でも雀が減って来ているとの事ですが、私が学生の頃、東京でも雀の丸焼きに焼酎を煽ると云った経験がありました。
付録のヴァイアグラ効果を持つ猛毒クモは、面白い。医薬上、実用化されると喜ぶ人もいるかもしれない。付録2のアマゾン川の地下を流れる大地下水川Rio Hamza(リオ ハムザ)の存在も面白い。毎月どんなブラジル不思議発見が発表されるかを楽しみにしているが、何時までも続いて欲しいものである。
写真は、麻生さんに送って頂いたスズメの見分け方を使用しました。毒蜘蛛の写真はBLOGで紹介する事にします。
|
|
|
 |
『ブラジル戦後移民』 49年の記録 旧ホーム・ページの保存(28)
笠戸丸によるブラジルの日本移民が始まって丁度103年経った6月18日に200万回のアクセスを記録した『私たちの40年!!』ホームページが、今回は、ブラジル独立記念日の9月7日に210万回を記録する事になりました。何時ものようにTOP PAGEの一部を9月7日付で更新しますが、旧ホームページを保存して置きたいと思います。
今回は、81日間で1日平均1234回のアクセスがあった事になります。8月のアクセス記録を見るとKBYTESベースでは、合計79各国からのアクセスがあり統計には30カ国までが記録されています。日本が43.98%と一番多く(日本語のサイト)、ブラジルが22.38%、アメリカが15.99%と3ヶ国で82.35%を占めています。不明が12.23%ありその後は、オーストラリアが1.37%、下記ウクライナ以下の国は1%以下の比率です。30位まで記録されている国々を下記して置きます。中国、カナダ、ロシヤ、スエーデン、チエコスロバキア、英国、ドイツ、フランス、香港、韓国、アルゼンチン、スペイン、ポルトガル、オランダ、台湾、イタリア、ガーナ、ウルグアイ、クエート、パラグアイ、チリ、フインランド、メキシコ、コロンビアの順です。月の初めには珍しい私が知らない国の名前が30位までに並ぶ事がありますが、多分これまでの総ての国を入れると150各国以上になっているのではないかと想像します。日本語の『私たちの40年!!』のホームページを毎日何処の国の何方がアクセスして呉れているのか不思議に思います。検索に引っかかるからクリックされるのではないかと思いますが有難いことです。
写真は、8月にポルトアレグレを訪問された長唄の師匠、杉浦和子さんと恵子の幸せそうな写真をお借りする事にしました。
|
|
|