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「詩とエッセーの広場」桐井 加米彦さんからの寄稿です。(10月23日『私たちの40年!!』MLで送って頂きました)
7月からYAHOOのMLを活用して皆さんとの情報交換、情報の共有を図っておりますが、桐井 加米彦さんから掲題の「詩とエッセーの広場」HPの抜粋とも言える貴重な書込みを頂きました。桐井さんには、『私たちの40年!!』HP開設当時から色々御指導頂いており、各種MLへの参加、バーチャル座談会等日本との繋がりを作り出して行く過程でお世話になったお一人です。
昨年9月の九州休暇旅行では別府で栗本さん、佐藤さんとオフ会をやって頂き歓談する機会もあり時空を越えてのAMIGOとして大切な存在となっております。皆さんのご支援、励ましがなければ『私たちの40年!!』HPもここまで辿り着いていなかったのではないかと思います。これからもそのご支援に報いるべく精進して行きたいと思います。桐井さん、皆さん有難う御座います。
写真は、昨年お会いした時に撮らせて頂いた一枚です。
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【いまなお旅路にあり 在る移民の随想】 半田知雄著
先日、サンパウロに出た際にサンパウロ人文化学研究所に年次会費を納めるために立ち寄った時に耳が黄色く変色した掲題の本を見つけて購入しました。1966年7月1日太陽堂書店発行、サンパウロ人文科学研究所編集責任とあり印刷は東京の日本出版貿易株式会社となっている。コロニアでは幻に近い古典がまだ存在していた事に驚きを感じるが嬉しい邂逅となる。残念ながら半田さんと直接お話をする機会に恵まれなかったが半田さんが残された絵画には、何度かお目に掛かっている。1906年栃木県宇都宮市に生まれ1917年移民として渡伯、1935年仲間と共に聖美会(画家グループ)創立。【いまなお旅路にあり 在る移民の随想】中よりその題名となった一世移民の心境を下記しておきます。半田さんが取上げた問題提起は、今も身近な問題として我々戦後移民に問い掛けており古典としての半田さんの書かれた文を紐解く事によりその解決への糸口、示唆を見つけ出すことの出来る大事な本だと思います。
写真は、同書の表紙です。装幀、筆者自装とありますので色の配合等何か意図する事があると思いますが確かめる術もないのが残念です。
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『海外派遣の先駆者、支倉常長を想う』 横内 正毅(よこうち まさき)S40年早大(法)卒 早大海外移住研究会所属
早稲田大学海外移住研究会の仲間の一人横内さんが日本在外企業協会の機関紙「グローバル経営」の2004年1月号の「グローバル化時代の海外派遣員に示唆するもの」というテーマでの特集に寄稿されたものを提供して頂きました。直接ブラジルへの移住は、断念されましたがブラジルにも現地法人、工場のあるYKKに勤務、ブラジルを狙ったようですが、縁がなく?ヨーロッパでの海外勤務が長くイタリアで海外派遣の先駆者仙台藩の支倉常長との遭遇の経緯に付いてのお話は、海外駐在経験者ならではの示唆に富むお話です。
この寄稿文に添える写真を『私たちの40年!!』MLで送ろうとして実に150通、合計1万通以上の迷惑メールの原因となった幻の写真の一枚をお借りしました。写真説明には「支倉常長の銅像、石巻市、月の浦に建立。石巻市在住の三浦氏と記念撮影。」とあります。左が横内さんです。横内さん有難う。
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今年最後のF-1がインテルラーゴで開催されました。 出羽孝史さんの寄稿です。
和田さま
リオの出羽です。「私たちの。。。。。。。」、お陰さまでいつも楽しませて頂いております。有難うございます。雑文「F−1」を添付いたします。とのお便りと共に下記寄稿文を送って頂きました。何時も変わらぬ情熱と健康を保っておられ日常生活をさり気なく書き留めておられます。今回は先日サンパウロのインテルラーゴで開催された今年最後のF-1レースに付いてと日本シリーズ、新潟地震への思いやりも語られております。
新聞報道によると12回目の挑戦で悲願の母国GP制覇を目指した期待のポールポジションスタートのルーベン・.バリケロは、天候を見誤りタイヤーの取替えに貴重な時間を失い結局3位となり母国GP制覇は、来年以降に持ち越されました。レースは.ライッコネンとの僅差のマッチレースを制したモントーヤが優勝。また、このレースで年間勝利数の新記録を目指したフェラーリ・チームは18戦15勝で終え、記録更新はならず。シューマッハは、前日の練習走行中の事故で車を代えての最終列からのスタートとなり年間勝利数記録を『13』で終えている。アイルトン・セーナが活躍していた頃は日曜日には、このモータの爆音を聞いいていたが最近観戦する機会が減って来ている。これはNHKの実況放送が見られるようになった事にもよると思いますが、出羽さんの投稿で久し振りに注目しました。
写真は、4年目の来年以後の活躍が期待されるトヨタの競争車をTOYOTAF-1のHPからお借りしました。
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南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(1)(2)(3)(4)ニッケイ新聞編集長 深沢 正雪さんの問題提起と解説文。
10月29日から11月4日まで4回に渡って【南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか】との課題でニッケイ新聞編集長の深沢 正雪さんの連載文が掲載されています。日本の教科書に南米移住史の記載が全くないというのは奇異な感じがしますがそれが事実なのですね。私が神戸の中学に通っていた頃、課外授業?の一部として社会科の女性の先生【お名前は失念】に連れられてブラジルに移住する神戸から乗船される方達のテープ拾いに出かけたとの事実が私のブラジル移民の遠因の一つとなっていることから考えると矢張り学校教育の場で南米移住史の取上げを希望する一人ですが史実として取上げるか人生の選択の一つとして海外移住といった発想、可能性もあるということを感受性の強い学童期に旨く教える先生の存在が大切と思います。戦後移住が再開して間もない頃に移民船のテープ拾いという課外活動を思い立たれた先生の思いはどうだったのでしょうか?何か個人的な思いもあったのではないかと興味を抱きます。
写真は、矢張り1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航の神戸出航時のものを使いました。
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ポルトアレグレ総領事館存続問題に付いて藤村 修衆議院議員(民主党大阪選出)が外務委員会で質問してくれました。
嬉しいお便りが届きました。日本ブラジル交流協会理事長で衆議院議員(民主党大阪選出)の藤村 修議員が国会の外務員会でポルトアレグレ総総領事館存続問題に付いて国会答弁の場で取上げて呉れました。国会答弁の場でこの問題が取上げられたと言う事実を大事にしたいと思います。これで少なくとも外務省内の閉ざされたカーテンの中での決定でなく一人でも国政に携わる国会議員がポルトアレグレ総領事館閉鎖に付いてその是非と経過を求めた事実だけは歴史に刻み込まれて行く事になりました。最終結果がどうあれ藤村さんが外務委員会でこの問題を取上げて呉れたことは、事実でありまだこの議事録は「未定稿」であるとの注と公表できない段階であるとの事ですが、私個人の判断と責任でこの嬉しいニュースを掲載する事にしました。藤村さん有難う御座います。
写真は、8月に来伯された時に日本ブラジル交流協会の理事会に参加された藤村理事長を挟んでパラナ州代表の地方理事江頭さん(左端)と撮って貰ったものです。
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簾田武志(みすだたけし)2001年早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業(バトントワリングのブラジル代表コーチに就任)の紹介。
ブラジルには、ブラジル稲門会があり短期駐在員を含めると百数拾名の校友が各回で活躍しておりますが、野球、テニス、ゴルフ等の定期早慶戦、総長来伯の歓迎会、早稲田校友(最近では小渕恵三さんの次女小渕優子代議士)との交歓会等を適宜催しており相田会長以下和気藹々の集まりですが、一番の問題点は、ブラジルコロニア同様、後継者、後続部隊が続かない事で移住華やかなりし頃に移民船で遣って来た我々の仲間が老齢の域に入りその二世、三世の代となりつつあり野球の早慶戦には慶応側には二世選手が入り時代の移り代わりを感じさせていますが、久し振りに二十一世紀の2001年教育学部卒の新人類?に属す簾田武志君がこれも新部類に入るスポーツ【バトントワリング】のブラジル代表コーチとして新スポーツの普及に努力、活躍を始めています。簡単なスポーツとしての【バトントワリング】と同君の輝かしい選手としての経歴等を送って頂きましたのでご紹介して置きます。
写真は、可愛い生徒さんとご一緒のものです。
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沢田 啓明さんのサッカーコラム復活!!(6)
沢田さんのサッカーコラムは、何時も時の動き(サッカー時評)を捉えて話題提供をしておられますが、ピッチで心臓発作を起し亡くなったセルジーニョの出来事は旅先のカシアスのホテルでテレビを見ていただけにショックでした。心臓肥大で通常の3倍の大きさまでなっていたとか。年末にはシュッテイラを壁に掛けると約束していた矢先の事故とも云えぬ事故で未必の故意にあたる予測し得た事故死(本人がそれを強く望んでいたとか)スポーツ選手の健康管理の難しさを露呈したようですね。
11月7日のインテル3-0コリンチアンスの試合をホームのベイラリオに観戦に行きました。ブラジル選手権の決勝で同じ場所で同じコリンチアンスと当り勝ったときほどの感激は感じられませんでしたが(年を取り感激が薄れて来ている?)久し振りに長女と次女の二人が同行して呉れ、日本ブラジル交流協会の研修生の伊藤 潔君、当地カトリック大学の交換留学生、上智大学ポルトガル語学科の滝谷 茜さんの5人での応援が効を奏したと喜ぶべきでしょう。今回の写真は、観戦中の4人を使用しました。途中ラジオ・ガウショーが試合のコメントのマイクを突き出したので日本語で『今日のインテルは、中々良いよ』と始めたらきょとんとしてそのままラヂオに日本語の感想が流れたと聞いていた友人から冷かされました。サッカーは矢張りピッチで見るのが最高との鉄則を確認した一日でした。
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