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【逞しく生きる日系人たち】池田維 前駐伯大使、伯国を語る 『海外日系人』機関誌に寄稿文より。
池田 維 前駐伯大使とはブラジリアに於ける官民合同会議の席上等何度かお会いしましたが特にポルトアレグレ総領事館存続問題では、忌憚ない発言を聞いて頂きました。御帰国後もブラジルを忘れず海外日系協会の機関誌『海外日系人』にブラジルに付いての判り易い解説を寄稿しておられます。初心者がブラジルを知る上では又とない絶好のテキストと言えブラジル在勤中の自らの経験を生かした文章は説得力もあります。注目すべき巨大な潜在力、国造りに大きく貢献、貴重な外交的財産、新日伯関係穀zの百周年の4回に分けてニッケイ新聞に転載されていたものを使わせて頂きました。
写真は、ブラジリアのシンボルの一つカテドラールを使用しました。

『紀州熊野の梅仙人 永井 恒夫さんの昨今!!』HSLNの交信から抜粋
今年4月訪日時に紀州熊野の梅仙人さんこと永井恒夫さんの紀州南部の梅の里にある別荘に一夜お世話になりました。『私たちの40年!!』MLの関西のメンバーの皆さんが明石大橋の麓の舞子浜に集まって下さいそれが終わってから大阪に住む妹を案内役に紀州田辺まで出向きました。若い頃の40年前の写真は、拝見しておりましたが現在の梅仙人さんはどんな方かお会いするのを楽しみにしておりましました。想像に違わぬ仙人に相応しい方でした。最近、その梅仙 人さんが日常の農作業等の昨今をHSLNに書き込んでおられ辻さん、布施さん等がコメントを書き込んでおられます。それらの交信をお借りして掲題の紀州熊野の梅仙人の昨今としてご報告して置きたいと思います。
写真は、南部訪問時に撮らせて貰った梅仙人のお母様ヌイさんとのツーショットを使用しました。

早大海外移住研究会OBの富田真三さんの【小話】です。
同窓のサンパウロに住んでおられる富田博義さんのお兄さん、真三さんがメキシコに長く住んでおられることは知っておりますが、まだお会いしたことがありません。最近、早大海外移住研究会の便りを載せるHPを主宰しておられる黒瀬さんから富田さんが書かれた面白い【小話】を送って頂きました。
ブラジルでも富田さんが挙げておられる多くの小話は何度も聞いておりネタは、同じところから出て傑作は方々に伝承、語り継がれているようですね。ブラジルの小話(PIADA)の主人公は、何と行ってもポルツゲース(ポルトガル人)のジョゼー、ジョアン、マヌエル、セバスチオン等が多く女性ではダントツでマリアです。次に多いのがジャポネス(日本人)ですがこれは私が話しの中にいる事から主人公をジャポネスに変えて聞かせるのかも知れませんが色々その場では笑いこげるのですが、思い出して語るとなると大事な落ちを忘れてしまっていたりで上手く伝えるには術がいるようでもっぱら聞き手に回っています。
写真もお願いしているのですが間に合わない事から数年前に行ったメキシコの郊外にある水郷サチミルコの船旅の時に撮ったものを使用して置きます。

パラグアイ移住者動向の考察(11)−(16総集編)【後編】 野口 紘一
野口紘一さんの書かれた「パラグアイ移住者動向の考察」後編です。御自身がパラグアイ移住者としての経験をお持ちでパラグアイからアルゼンチンの北部サルトの農場支配人として転出、その後カリフォルニアに再移住して現在北米にお住みですが、台湾からの引き上げ福岡県での幼少時代から数奇の人生行路を歩んだ野口さんの「還暦備忘録」は、一冊の本には収まらない人生の記録ですが、パラグアイ移住者の移住先国パラグアイへの定着の過程とその後に多くの移住者の皆さんが辿られた道程を克明に調べ直接関係したケースワーク的な報告を含めた貴重な調査結果と其の考察です。『私たちの40年!!』同船者が現在も定着しているブラジル、アルゼンチン、ボリビアに付いても同種の「動向と考察」を纏めて下さる方が現れるのを期待しています。
写真は、パラグアイからではなくお隣のアルゼンチンのミッショネス州グアルアペス移住地からブエノス近郊に国内移動された同船者、大西さん、水野さん、三浦さんと681分の6(1%弱)が集まった時のものです。

支倉常長に関する雑学的データ by 富田真三
早稲田大学海外移住研究会の先輩である富田真三さんが同じくYKKに勤務しておられた横内正毅さんの『支倉常長を思う』を読まれて支倉使節団の最初の上陸地メキシコのアカプルコの近くに住んでおられたこともあり今回、支倉常長に関する雑学的データとして一文を纏めておられます。日本から海外に雄飛して行った支倉常長の偉業は、山田長政が建設した日本人村と共に広い意味での日本人移住史の始まりでもありミス・スペインを排出したというJAPON(ハポン)性の使節団の子孫の存在等多くの夢を育ませて呉れます。このデータを基にした各論的な興味ある続編を期待したいと思います。今回のこの一文は、各国の移住の歴史欄に掲載させて頂く事にしました。
写真は、本文にもある仙台市青葉城にある支倉常長の銅像です。

有川鉄筋工場 日本の技術導入し大繁盛 南リオグランデ州 (サンパウロ新聞9月15日付け記事)
サンパウロ新聞の若手記者、吉永 拓哉記者が私用も兼ねてポルトアレグレに遣って来た。拓哉君のお父上とは、学生時代にアマゾンのトメアス移住地で一緒に過ごしたこともある古いアミゴであり一晩我が家で泊まり一杯飲みながら色々邦字新聞記者としての苦労話を聞かせて貰った。日本語を読む一世移住者の減少と活字離れによる購読者の激減で苦しい経営を強いられており助ェな取材費も無く『好きでないと遣っておれない』と笑っていましたが、何とかブラジル移民100周年までは存続させたいと言うのが現在の目標でそれ以後の経営は困難になってくるのではないかと邦字新聞の将来の見通しは暗いとのこと。
南伯ポルトアレグレ関係の記事を書いて呉れているのでWEB版から拾い、送ってくれた新聞を掲載して置きます。
ポルトアレグレでは老舗の有川旅行社の拓大柔道部出身の猛者、有川 修さんの華麗なる転進?を取材しておられます。自ら出稼ぎに出かけ戻ってから其の経験を生かし出稼ぎの送り出し旅行社で財をなし南伯のコロニアにも有川基金として大きな社会還元を実行した人。拓哉君の後見人でもある。

サンパウロ新聞 9月13日付け【資金難に喘ぐ南日伯援護協会=草の根資金も有効に機狽ケず】
サンパウロ新聞の吉永 拓哉記者がポルトアレグレに遣ってこられ南伯のコロニアの主要指導機関として活動している『南日伯援護協会』の栗原 隆之事務局長に取材して南のコロニアの現状を取り上げて報道して呉れています。援護協会の現在は使用されていない元学生寮の有効利用策として草の根資金の2万ドルの助成金を導入し車椅子や介護用ベッドの購入、バリアフリーの老人ホームとしての改装を実施したが市役所の営業許可書(ALVARA)が下りず営業できないまま埃が溜まっている。来年、リオグランデ・ド・スール州のリオグランデ港に下船した栗原さん達戦後単身移住者23名は、着伯50周年を迎えます。これを記念して2006年8月20日には、リオグランデ港に着伯記念碑の建立を計画している。2008年の100周年のやっと半分、歴史的にも人数の上でもサンパウロ、パラナ両州には適わない。ポルトアレグレ総領事館も年末には閉鎖される。日本政府に頼らない形での自立が求められる時期に来ているのかもしれない。写真は、拓哉君が送ってくれたサンパウロ新聞です。

杉野忠夫博士の移住監督紀行文 『南米開拓前線を行く』 野口 紘一さんより配信。
『私たちの40年!!』MLにカリフォルニアにお住みの野口 紘一さんが毎日配信して呉れているのが掲題の杉野先生の紀行文です。私たち学生の頃は、杉野先生の一番輝いておられる時期で東京農業大学の農業拓殖学科長をしておられ1962年には日本学生海外移住連盟顧問会長を引受けて下さっており多くの仲間が訓育を受け我々は杉野先生の側におられる東京農大生を羨ましく思ったものです。残念ながら私自身は杉野先生とは一度もお会いする機会がありませんでしたが、早稲田大学海外移住研究会の黄金時代と重なり富田、谷、真砂、武藤と4代続けて日本学生移住連盟の会長を輩出したことから(4人とも現在ブラジルとパラグアイに在住)杉野先生の高邁な理想を実践し教え子が早稲田にもいた証拠で先生の移住に対する当時の学生の考え方を理論的に穀z、支えた偉大な指導者と言えます。50年近く前に移住船の移住者助監督としてパラグアイまで同行した時の克明な記録を紐解く機会が与えれた事に感謝したい。
写真は、野口さんより送って頂いた紀行文に掲載されている杉野先生です。

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