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『私たちの40年!!』ホームページアクセスの異変?10月のアクセス分析より。
9月にアクセス40万回を記録した『私たちの40年!!』ホームページはその後も順調に?アクセス数を延ばしていますが、10月のアクセス分析数字に大きな異変が記録されています。月間アクセス数21709回、一日平均700回は、これまでの最高記録ですが、それより10月11日(水)と12日(木)の二日間のアクセスが異常な数字を記録しています。これと云った特別の寄稿集更新もなかったしどうして1日6575回、1900回と言った異常数字を記録したのか不思議でなりません。これまでも学校の教材?として使用されるとか1000回前後のアクセスを記録している事は有りましたが今回の異変は全く理解に苦しみます。使用しているアクセス分析WEBALIZER VERSION 2.01は、通常に稼働しておりアクセス数のみでなくヒット数、ファイル数、ページ数、Kbytes、サーバー、URLs等の数字もこの両日は異常さを示しており、この異変は23時から午前1時の間に集中しており10月の日本からのアクセスが普通の月と比べて異常に高く61%を示していることからこの異常アクセスが日本において実施されたとすると11日の午前11時から12日の午後1時頃に集中してアクセスが有った事になる。別に悪いことをしているのではないので心配はしていないが不思議で有ることは確かでその理由を出来れば知りたいと思っている。
写真は、異常なピークを示しているグラフでアクセス数は黄色い色で示されている。
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山下晃明のブラジルで損せぬ法(222)(223)(2006年5月号、6月号)
ブラジルで数少ない経済誌『実業のブラジル』は、1959年の発刊であるから既に47年間発行続けている。そのブラジルの経済誌に25年以上(一時抜けている期間が有るが都合300回近く)『ブラジルで損せぬ方』を書き続けているのが山下 晃明さんです。
彼とは神戸高校の10回生として3年間神戸高校で一緒であった。在学中は、同じクラスになった事がなく余り行き来はなかったが放送部で活躍していたのは知っている。卒業後は、地球の裏ブラジルで交差する機会が増え仲良くさせて貰っている。サンパウロの城島商会の大番頭として松下電器のNATIONAL印のテープレコーダーを何百万台販売ブラジルに普及させた。現在はリオ、マイアミに拠点を移しOCSのブラジル代理店初め多種のコンサルタント業を展開している。
写真は、彼とSKYPEで無料通話している時に撮ったものです。
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世話になった伯国への恩返し 轄リの花 元学移連OB社長が共生図る サンパウロ新聞WEB版より。
元日本学生海外移住連盟の第5次団員としてブラジルに1年間研修されていた鹿児島大学の宮本 修さんは、現在山口県で弁当製造工場を経営しておられ、その後も盛和塾の塾生としても何度もブラジルに来ておられます。今回サンパウロ新聞福岡支局長の吉永 拓哉記者が宮本さんの紹介記事を書いておられます。若い頃に過ごしたブラジルとの繋がりを生かし50人以上の日系ブラジル人を雇用しておられ日伯交流を実践しておられます。最近は、若い学生を受け入れる制度が日本ブラジル交流協会の研修生制度も頓挫、現在では鹿児島県の研修生受け入れ事業程度しか見あたりません。人生の選択として移住の道が査証問題等で実現出来ないのは残念です。
写真もサンパウロ新聞からお借りしました。
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早稲田大学海外移住研究会先輩、豊歳 直之さんの’秋の叙勲’を祝う会。
早稲田大学海外移住研究会の創世記の先輩である豊歳 直之さんが秋の叙勲の栄誉を得られたとの事で移住研究会の皆さんが祝賀昼食会を開かれたとのニュースが黒瀬さんの【早大移住研OB/OGの会】HPに掲載されていました。急な集まりだったためか参加者が少なかったようですがそれでもアルゼンチン、パラグアイで活躍されている豊歳先輩の叙勲を祝う会が地元新宿の“銀座アスター新宿賓館”で開かれたとのこと。豊歳先輩のニュースは、ブエノスにおられる頃から聞いていますが、何度か訪問したアスンシオンでもゴルフクラブの役員をしておられるとの事でゴルフ場でお会いできるか期待していましたがチャンスがなく未だに直接お会いした事がありません。次回訪問時には是非お会いして“おめでとう”を述べたいと思います。
写真も同HPからお借りしました。前列右から、吉村、豊歳、佐藤、佐藤夫人、黒瀬、後列右から吉村夫人、菅間(敬称略)
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【数奇の運命辿る笠戸丸】サンパウロ新聞WEB版の記事より
ブラジル移民に関心を持っている者であれば必ず一度や二度は耳にし、目にした事のある【笠戸丸】について2008年の日本移民100周年記念事業の一環としてFDP記録映画製作所の野崎文男プロジューサー、左藤嘉一カメラマンで【笠戸丸移民物語】を製作中ですがその文書本とも云える好材料がサンパウロ新聞に掲載されていました。
『私たちの40年!!』HPでも笠戸丸関係の記事は、幾つか掲載していますがその一つには《ロシア船として日本軍に,日本船としてソ連軍に沈められたイギリス船》と数奇の運命を辿り最後は蟹工船として小樽を拠点に働き演歌「石狩挽歌」にもその名を残しています。小樽の水口さんのHPにも転載されそれを読まれた浜口さんのコメントも送って頂きましたので一緒に掲載して置きます。
写真は、笠戸丸の数少ない公式写真です。
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【絵と私、思いつくまま】ホームページ「小さな画室」の藤木 亘さんの寄稿。
『私たちの40年!!』のメーリングリストの書き込みは、ブラジル関係のニュースが中心で面白みが少ないのですが、HSLN(ハッピーシニアライフネット)のMLでお知り合いに成り何時も新作の紹介等を送って頂く事になりました。「小さな画室」の数多くの絵の中で東京下町の走り描、山手線各駅の懐かしい絵等本当に目を楽しませて頂いており最近送って頂いた埼玉県の「花の丘公園」にあるゴッホの跳ね橋の絵がいたく気に入りこれを使って是非藤木さんを紹介する欄を設けたいとお願いした所、下記のオリジナルの原稿を書いて下さいました。日本にあるゴッホの跳ね橋の絵と共に紹介して置きます。風景からの語りかけが聞こえるようなこの絵をこよなく愛でる気持ちと共に藤木さん有難うを述べて置きます。
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サンパウロ大学構内で戦後移住50周年記念植樹協力者記載記念碑の再除幕
戦後移住50周年記念祭委員会が中心ななり2003年に桜とイッペーの木を植樹しましたが、私が訪日時にこの植樹事業に協力頂いた海外居住者リストに46桐井 加米彦、52栗本 克彦、64阪口 健吉、65坂本 翼、71佐藤 征夫、83関 計比児、85勢古口 順、161松田 浩の8人の方の名前が含まれた記念プレートが3月に剥がされてしまっていたそうですが今回10月27日に無事新しいプレートを付けた記念碑が高台の夕陽が丘から柵のある体育学部に移されて再序幕式が行われたとの記事がサンパウロ新聞とニッケイ新聞に報道されていました。
僚友滝谷 英一さんにお願いしてこの盗まれた記念プレートを見にサンパウロ大学まで出かけ上記各氏の名前を確認に出かけました。夕陽が岡に映えた記念碑は道路から少し入った場所に設置されており心無い人の犠牲になってしまったようです。新設置場所に確認に出かける積りですが、写真は、1月15日に古い夕陽が岡の記念碑前での滝谷さんと一緒に撮った一枚を使用しました。
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果たせなかった夢を後輩に託して 仲間の移住支援して30年
家庭の事情もあり福岡の郷里に戻りサンパウロ新聞の福岡支局長としてブラジル通の記者として密度の高いレポートを署名入りで書いておられる吉永拓哉記者の報告を楽しみにしている一人ですが、今回は厳父吉永正義さんの母校、拓殖大学海外移住研究会の海外に雄飛したOBを支援する『桂会』の会長として30年以上支援活動をしておられる井川 實さんを紹介する記事がサンパウロ新聞のWEB版に掲載されていましたのでお借りして収録しておきます。
吉永正義さんとは学生時代の1963年の正月にトメアス移住地で一時ご一緒に過ごした事がある旧知の間柄であり又拓哉記者は、ポルトアレグレ取材に来られた時に我が家に泊まって頂き語り合った事があり今後の日本からの発信記事に大いに期待している次第です。
写真もサンパウロ新聞からお借りした井川 實さんです。
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