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DEC社新原料工場落成式に参加して。
同船者のDEC社園田社長の姫マッタケ生産用の新原料工場の落成式が2月16日(日)にサンパウロ市郊外のアチバイアの町で行われ30数名の仲間が参加しましたがこのイベントに合わせて日本から上園助監督および23年ぶりの里帰り?になる稲見正次郎さんが息子さんのジョージさんを連れて参加しました。ミナスから青柳さんご家族3名、パラナ州からも坂本さんが参加っされ花嫁移民の吉川さん、武吉さん等昨年の着伯40周年の集い以来の1年振りの再会に花が咲きました。少し早い41年目の会合も2月15日(土)の夜にニッケイパレスホテルの一室を借り『40年目のビデオレター アマゾン編』の鑑賞会と共に上園さん、稲見さん、17年振りの園田さんの日本から来られたお兄様の光雄さん(埼玉在住)、パラグアイからこられた弟さんの八朗さん、今回始めて参加された鈴木さん、牧さん、和田さん(旧姓見尾さん)等全員に一言ずつ話して頂き時間の過ぎるのを忘れる楽しい一時を過ごしました。これからも不定期に今回のようないイベンントに併せ会合が持てればと念願しております。サンパウロに住んでおられ事務所と電話、FAX等を提供すると共に諸々のお世話、連絡係をして呉れている吉田和子さんと小山徳さんにお礼の言葉を送らせて頂きます。有難う御座います。
遅くまで話が弾み解散後、記念写真を撮る暇もなく別れてしまったのが重ね重ね残念ですが、上園助監督を挟み園田社長と3人が写っているのを使用しました。関係ニュースとして2月17日(月)、2月18日(火)のニッケイ新聞の関係記事、2月20日(木)の園田さん宛てのお礼の手紙と2月21日(金)のそれに対する返事等画像掲示板に掲載されたものを下記しておきます。

DEC社の新工場落成式で披露された青木香奈さんの歌謡ショウ。
2月16日(日)に同船者園田昭憲さんの姫マッタケ生産用の堆肥原料工場落成式に披露された青木香奈さんの歌謡ショウには大きな拍手が贈られていましたが、これまで直接聞かせて頂く機会がなかっただけに大きな喜びでした。95年にブラジルに渡りサンパウロ州立音楽大学に入学4年間学びその間歌手、演奏者としてのみでなく作詞、作曲も手がけ幅広い音楽活動を続けておられます。当日披露された青木香奈さんの作詞作曲の【帰ろうかな】は好評で会場の皆さんと一緒に歌っておられました。 帰ろうかな あの町に 帰ろうかな ああ なつかしい 人達が目にうかぶ  帰ろうかな あの町に 帰ろうかな ああ  とおい海の向こうに 思い出がある  なにも言わない父のやさしさ いつも明るい母の声  素直で心に飛び込んでくるやさしさと懐かしさを感じさせる歌詞とメロディーでした。ブラジル人のご主人と共に今後の日伯における活躍を期待したいと思います。着伯当時から園田さんには音楽活動の支援を受けておられたとの事でめでたい落成式に参加できて非常に嬉しいとのコメントを舞台の上から述べておられたのが印象に残りました。限定版のCDも頂いたのでゆっくり楽しむつもりです。写真は当日遠くから撮ったものですが雰囲気は伝わるのではないかと思います。尚、当日披露された風船(どきどき)の曲は童謡コンクールで1位に選ばれた曲とのことで2001年12月28日付けのニッケイ新聞に掲載されていましたので転載させて頂きました。

第5回バチャル座談会 ブラジルのサッカーを語る!!(後編)
今回は、多くの皆さんからご発言を頂き字数がはみ出さないように気をつける苦労がありました。ご発言内容をすべて網羅出来たかどうか?もれてしまっているようであればお許し下さい。サッカー評論家としてのサッカー専門家の沢田さんにお願いして置きながら発言の場が少なかったの残念ですが毎週、〔スポーツ報知〕に『熱狂のカーニバル』というコラムを書いておられるのでそれを転載させて頂くコーナを作り皆さんにも紹介して行きたいと思います。写真は、スポーツ写真家として世界を駆け回りトヨタカップの南米代表チーム取材で毎年ブラジルにも来ておられる北川外志廣さんのオリジナルの写真を提供頂きました。ブラジル選抜軍の試合を観戦するサポーターの嬉しそうなツウショットです。

ブラジル在住のサッカージャーナリスト沢田啓明さんのコラム一斉公開。
バチャル座談会『ブラジルサッカーを語る!!』でコメンテターとして協力頂いたブラジル在住のサッカージャーナリスト沢田啓明さん(1955年山口県防府市生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。1986年来伯、サンパウロ在住)は、現在報知新聞のスポーツ報知に毎週ブラジルのサッカー情報を【カーニバルの熱狂】との題でコラムを掲載しておられます。今回、スポーツ報知からも掲載後2-3日後であればご本人の同意があれば掲載可能とのご許可を頂きましたので当HPでも今年1月以後の9回分を今回一挙掲載させて頂く事にしました。これからも毎回掲載コーナを作り掲載して行きます。寄稿集の125番目に「情熱のブラジルサッカー 華麗・独創・興奮」また211番目に「ジーコ 新たなる挑戦」の著書2冊を紹介させて頂いております。ご参考下さい。写真は、沢田さんの愛娘ニーナさん13歳との近影を送って頂きました。有難う御座います。

越境する日本文化 野球(4)=近代を持ち込んだ「野球移民」=完全試合投手も来伯
ニッケイ新聞3月8日(土)に掲題の近代を持ち込んだ「野球移民」=完全試合投手も来伯との野球記事が連載されておりますがこのブラジル野球史でも際立った話題としての野球移民は、私たちのあるぜんちな丸第12次航の同船者です。殆どの野球移民が4年間の契約期間を終えて帰国して行ったなかただ一人名取満臣さん(神奈川県出身、1943年6月20日生まれ、横浜港出航)はブラジルに残り事業家として成功しておられる。既に名取さんに付いての記事は、寄稿集24番目の【海を渡った高校球児たち】(大阪新聞より転載)、25番目の【貢献した豊和工業野球移民】(ニッケイ新聞より転載)、84番目の【“野球移民”も乗せて 36年度最後の移民船あるぜんちな丸出港】(神奈川新聞より転載)で紹介しております。今回のニッケイ新聞記事は、下薗昌記貴社の越境する日本文化 野球(4)に紹介されたもので写真もそのままお借りしました。
『船内には名取ら七人の野球移民が、新世界への夢を膨らませていた。出港直後こそ、寂しさのあまり涙した十八歳は、すぐに〈中南米一の投手になる〉と気分一新。航海途中、体を鈍らさないようにと名取らはユニフォーム姿で甲板に出て、投球練習や素振りを欠かさなかった。』船内でも彼らの甲板での練習を見かけた同船者は多いが完全試合を達成した神奈川県の高校球界での大記録保持者、名取さんの業績を知っていた者は少ない。船内新聞でも紹介した覚えはない。遅ればせながら41年後の名取満臣さんを紹介しておきます。

日本ブームに追い風を  雑誌 メイド・イン・ジャパン
私の長女和田弥生エリーゼ(1977年3月10日ポルトアレグレ生まれ)は、今回5度目の日本生活を終え2年振りに2月28日に帰国して来ました。暫くはポルトアレグレに腰を落ち着けて呉れればと思いますがどうなんのでしょうか。出来れば『私たちの40年!!』HPのポルトガル語版を新設して手伝って呉れればと願っていますが実現するのでしょうか。帰国前の2月17日付けで財団法人 海外日系人協会(国際協力事業団 横浜センター内)で編集をお手伝いしている月間専門誌 『海外移住』(国際協力事業団発行)3月号に掲載予定の記事校正のお願いというのを担当の阿部順子さんから受け取ったものを持ち帰っていたのをお借りしました。同誌3月号の6ページ目に掲載されているはずですが校正版から転載させて頂きました。
写真は雑誌表紙を載せたいのですが手に入るまで少し古いですが弥生の写真を載せて置きます。

11,102名!! あるぜんちな丸(含むにっぽん丸)で移住された方の総数がわかりました。
以前に日本ブラジル交流協会の藤村 修理事長(大阪選出の民主党代議士)のご協力を得て私たち第12次航の乗船者名簿を取り寄せる事ができ、これが『私たちの40年!!』企画を推進する原動力ともなりましたが、戦後の移住貨客船あるぜんちな丸とその改修後の船による最後の移住者を運んだにっぽん丸の合計41航海でどれだけの移住者が日本から運ばれてきたのかその総数を知りたいとの気持ちを伝え再度、藤村 修代議士にお願いしていた所、今回その回答を得ました。
『和田さま
ご依頼いただいていました件、回答がまいりましたので、お送りいたします。
ふじむら事務所 えぐち』
これで大阪商船が乗船記念として出していた出航時のあるぜんちな丸の写真の確認、出航日から第何次のあるぜんちな丸だったとか調べ易くなりました。できたら41航海すべての乗船記念写真、赤道通過許可書、乗船者代表者の証言等を見つけ出し記録に残したいと思います。あるぜんちな丸で渡航された方は、是非ご一報ください。
写真は、花嫁移住の武吉民江さん(愛媛県出身)さんよりお借りした37年神戸出航前の記念写真です。サイズを大きくしたものを写真集に収録します。花嫁移民、産業開発隊員の皆さんの元気な若かりし頃の勇姿が見られます。

「バブル移民」サルバドールが故郷≠ノ=カルナヴァルで日本人ブロッコ組織=澤田さん30歳、満たされる日々  ニッケイ新聞3月13日付け記事より転載
いるんですね色々変わった人が、自ら名付けて「バブル移民」ブラジルの古都サルバドール市のユネスコ指定【人類の遺産】の一つペロウリーニョに本拠を構え六年間住み着いていると言う澤田直哉さん(30)が紹介されている。今年のカーニバルに日本人だけのグループを組織してペロウリーニョを練り歩いたという。ブラジルに移住して来た戦前の日本人もカーニバル時期にはサンバのリズムに乗って踊り狂ったりしたとの記録が残っているそうですが、リオ、サンパウロのカーニバルに正式参加する為のサンバツアー等も毎年計画されていると聞いていますがサルバドールでもそれが実現したとの事でまた新しい歴史を築いたことになる。自宅をゲストハウス「なお宿」として開放しているとのことですので次回サルバドールに出向いた時には是非訪問してお話を聞かして貰いたいと思います。農業移民等と全く違う形の日伯交流協会の研修生とか澤田さんのようなバブルチルドレンのバブル移民と言った形での新しい血の導入が老齢化現象と出稼ぎによる先細りの日系コロニアを活性化して呉れると有難いのですが。。。
ブラジルのカーニバル談義を現在バーチャル座談会のテーマに取り上げていますが澤田さんの記事は時宜を得た格好の話題で何時もの様にニッケイ新聞より写真と共にお借りしました。