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期待される『ガイジン2』−再び塚本恭子さん−ブラジル関連企業家でも活躍【ニッケイ新聞より転載】3
塚本恭子さん主宰の「クルーベ・ド・ブラジル」HPにある山崎監督からのメッセージを転載して置きます。

GAIJIN 2〜山崎監督からのメッセージ
 日本で目の当たりにした「出稼ぎ」という現象には、ふたつの面がありました。ひとつは、日系ブラジル人が日本で高賃金を得ることができるということ。もうひとつは、彼ら自身がブラジル人であることを再認識したことです。「GAIJIN〜自由への道」でも、日系人のブラジル人としてのアイデンティティーはひとつのテーマでしたが、私は再びこのテーマで映画を制作する時期を迎えていると実感しました。
 すでに過去の話ですが、私自身ブラジルで生まれ、GAIJINと呼ばれていました。それが私をどれだけ傷つけたかは、自分でもはかりしれません。本当に、いろいろな意味で傷つきました。いまでこそ、私はブラジル社会においてブラジル人であると認められていますが、自分自身でもよく説明できない気持ち、つまり自分の生まれた国でGAIJINと呼ばれてしまう気持ちを表現したいと考えてきました。
 こうした「よく説明できない気持ち」とは、日系人にかぎらず、より多くのブラジル人が感じているものです。ブラジルでは、それほど多様で多彩な文化が入り交じっているのです。裏を返せば、そうした文化的な多様性がブラジル人を魅力的にしているようにも思えます。
 私たちブラジル人はいろいろな文化から少しずつ影響を受けています。それこそブラジルの文化であり、私たちにとって財産であることを確信するべきです。いろいろな文化が混じりあうことによって、私たちは区別が不可能な存在なのであり、それが私たちのオリジナリティーなのです。

思い出の【南米への旅行】庄田淑子さんのHPより転載
1935年生まれの庄田淑子さんは、還暦のお祝いに息子さん達から贈られたパソコンを「親友」として立ち上げられた『昼下がりの部屋』(9月1日現在17210回のアクセスを記録)を公開しておられる。としこさんから『私たちの40年!!』HPへの書き込みがあり、御願いしてとしこさんのHP旅の中にある【南米の旅行】の書き出しの部分を転載させて頂く事にしました。この続きは、www.asahi-net.or.jp/~kp7t-syudでご覧下さい。沢山の写真と共に正確で楽しく我々の住んでいる国を紹介して下さっています。是非皆さんにも読んで頂きたい旅行記です。イグアスの滝の動画は圧巻です。写真は2000年にアルゼンチンの牧場で撮られた馬上の姿で「お願いよ動いて頂戴」とご機嫌を取っているところだそうです。

日本食のフロンティア “食の移民史”【ニッケイ新聞連載】よりの転載。
ニッケイ新聞の5月8日より7月2日迄、13回に渡る連載で日本食のフロンティアの題で面白い共同連載が掲載されている。沖縄のゴーヤー、豆腐、やきそば、漬物(花梅)、和菓子日本酒等日本移民によりブラジルに持ち込まれ定着した日本食に付いての考察は、この地に住む我々だけに大いに頷ける話題である。初回の前書きと最終回の日本酒の項を転載させて頂きました。写真は、東山農産加工発売の日本酒「東麒麟」です。
 
【移民によって持ち込まれた日本食は、時代の流れとともに広がってきた。今や日本食は、フランス料理に次ぐ高級料理としてのステータスを獲得し、豆腐や醤油を買うブラジル人の姿は、珍しいものではなくなった。と同時に、その広がったフロンティアには、さまざまな食をめぐる移民史が隠されている。そんな考えから、記者それぞれが食材・料理を選び、独自の視点で食の移民史≠切り取り、毎週一人分づつ紹介していく。共同連載という同じまな板の上に載った、記者それぞれの持ち味≠燒。わってほしい。】

「生きること、演じること」の後書き「決着の夏」神山 典士さんよりの寄稿。
昨年3月に浅草ロック座ブラジル親善公演に臨時演出家として同行されたドクメタリー作家、神山 典士さんより時に寄せお便りを頂いておりますが、今回下記のお便りを頂きました。「生きること、演じること」の後書きに書かれた「決着の夏」です。9月末に上梓される予定ですが一足先に掲載させて貰う事になりました。出版されればその本の表紙を掲載予定ですがそれまでは、昨年の浅草ロック座のブラジル親善公演のプログラムを掲載して置きます。 

「晩夏とはいえ暑い日が続きます。いかがお過ごしですか。
真夏の雲を見上げながら、こんな文章を書きました。
9月末、ぴあから上梓される「生きること、演じること」という、毎日新聞日
曜版に連載した演劇人たちのルポルタージュをまとめた作品の後書きのための
文章です。」 2002年9月2日

丸紅ブラジル会社に5年間勤務された杉井 皓一さんからの寄稿文。
杉井さんとは丸紅当時に御一緒に仕事をさせて頂いた古い仲間です。私が丸紅ブラジル会社を退社した95年の前の年に丸紅大阪本社でお会いして以来ですが、7月末にお仕事でポルトアレグレまで出張してこられ一晩食事をご一緒しながら昔のブラジル談義に耽りましたが、今回ブラジル勤務当時と現在のブラジルの差異、貿易立国としてのブラジルの経済回復への道を商社マンらしい観点からご指摘頂いていおります。ブラジル生れのエヅアルド君が既に27歳との事、時の隔たりを感じます。写真は、7月末にポルトアレグレに来られた時に撮ったものです。真ん中の若々しいのが杉井さんです。

大地に夢求めて ブラジル移民と平生釟三郎の軌跡 【書籍紹介】
関西の名門甲南大学の創設者平生釟三郎氏(昭和10年に初めて民間ブラジル経済使節団団長として渡伯)に付いての軌跡を「大地に夢求めて」と題して小川 守正さんと上村 多恵子さん(何れも甲南学園の理事)の共著で神戸新聞総合出版センターより2001年6月11日第1版発行しており、昨年の神戸での乗船記念碑『希望の船出』除幕式の際に取材に出向いていた娘が頂いたとのことで最近送って寄越しました。上村さんのお名刺が添付されておりメールアドレスがあったので上村さんに連絡をとり同書の“はじめに”の部分の転載をお願いした所、下記のご返事を頂きました。写真は、同書の表紙です。

『「大地に夢求めて」読んでいただき嬉しいです。
小川先生とブラジルにもまいりまして、あらためて平生さんにとり、なぜ、この地なのかを感じました。
壮大な夢半ばで戦争があり残念でした。満州移民との差を歴史の中で出したかったです。
hpでご紹介いただくのは、うれしいです。たくさんの方に読んでいただけたら幸いです。  上村多恵子』

コチア青年移住四十周年記念誌 【コチア青年連絡協議会発行】
1955年9月15日コチア青年第1次1回生109名があめりか丸でサントスに到着しその後足掛け13年間52航海で都合2508名のコチア青年をブラジルに送り込んだ。産業開発青年隊の626名、工業移民、力行会等の団体による送り込みの中では数字的にもその後のブラジル社会における定着、活躍は、ダントツであり、1995年に四十周年を迎えコチア青年連絡協議会主催で実態調査、記念誌発行、記念祝典の3事業を計画、完遂している。記念誌の巻頭所感としてコチア青年連絡協議会黒木 政助会長の【覚悟を新たに頑張ろう】を転載して置きます。コチア青年呼び寄せの母体であったラ米最大の18000人の組合員を擁した母体コチア産業組合は、経済破綻を来たし1994年9月に自主解散に追い込まれており母体を亡くしたコチア青年連絡協議会の今後の活動が元組合員初めブラジル日系社会で期待されている。あるぜんちな丸第12次航でもコチア青年第2次第17回生として40年祭に参加された青柳さん初め17名が着伯しており4名が帰国しておりますが、現在もコチア青年として活躍されている皆さんの消息を消息を調べています。写真は40周年記念誌の表紙です。

佐藤 征夫 船長 の【キャプテンSATOの航海メモ】にリンクして貰いました。
【キャプテンSATOの航海メモ】のリンク集拝見しました。興味深いHPが掲載されており半日次から次と訪問させて頂きました。【そして海の向こうに世界があります。】(AROUND the WORLD)のカテゴリーに『私たちの40年!!』HPをリンクして頂き有難う御座います。海の好きな人たちにあるぜんちなな丸とあるぜんちな丸が運んだ戦後移住者の生き様をFLW頂ければ嬉しい限りです。
感謝の念を込めて OBRIGADO CAPITAO SATO!!
佐藤船長との経緯は、通信欄(掲示版)に掲載されておりますが、佐藤船長の書込みを下記に紹介して置きます。今後も時に触れて連絡下さるとの事、楽しみにしております。
写真は、佐藤船長のメインHPのTOPページにあるアラスカで撮られたものを転載させて貰いました。