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【ブラジルで損せぬ法】実業のブラジル誌より転載させて頂きます。
バーチャル座談会のコメンテターとして協力頂いている山下 日彬さんは、私と神戸高校で机を並べた同級生です。『私たちの40年!!』HPでも記念誌【城島学校】等で紹介しておりますが、『実業のブラジル』誌に16年近く継続して好評連載中のブラジルで損せぬ法の経済コメントを山下さんのご好意で2003年1月(185回)以後の論評を転載させて頂く事になりました。山下さんのYACON社のHPには2001年8月号(170回)以後が掲載されておりますので興味のある方は是非バックナンバーを読んで下さい。ブラジルに住んでいる我々は勿論、日本の皆さんにも大いに役に立ち示唆に富んだ、生きた経済論としてブラジルに置ける事業展開、損をしない法が毎月満載です。
写真は、実業のブラジルの表紙をお借りしました。


栄田さん、伝道師で教育者=イグアスー移住地 日系コロニアを引っぱる
南米の心臓部、パラグアイのイグアスー農業組合のHPをリンク集に紹介しておりますが、同イグアスー日本人会会長に選任された栄田祐司さんがニッケイ新聞の4月23日版に写真入で紹介されております。写真と共にニッケイ新聞からお借りしました。伝道師で教育者の栄田さんは、「日本語学校の一層の充実と、老人介護制度の確立」を重点事項に挙げておられるとのこと、私たちの同船者いるパラグアイ日系コロニアの新しい指導者としてその手腕に大いに期待したいですね。

【日本人の血】 作家 柊 治郎さんの書き下ろし作品です。
作家 柊 治郎さんとは、HSLN(ハッピーシニアライフネット)という作家 柊 治郎さんとは、HSLN(ハッピーシニアライフネット=柿沼 實さん主宰)という 原則として50歳以上のシニアーの皆さん400人以上が参加しておられるメーリング リストを通じてお知り合いになりました。現在バーチャル座談会で『移民について語る!!』をテーマにしておりますが、皆さんに移民についての発言をMLを通じてお願いした所、多くの方からコメントを頂くことが出来、柊さんからは、メキシコへの榎本移民についての創作を進めておられるとの事でその構想と、世界各地に広がる日本移民、【日本人の血】について夜を徹して書き上げて下さった書き下ろし特別寄稿を送って頂きました。完全な失敗に終わったメキシコへの榎本移民35名の苦労話と400年近い昔に伊達政宗が送った支倉常長一行180名の多くがメキシコに住み着き日本人の血を残しているとのこと。柊さんの最後の章には、「一世として海外で日本人の意気を高らかに示しておられる人達、二世、三世、四世として、その国の人になりきりながら、その国の発展に貢献しておられる人達、そのいずれにも熱いエールを送りたい。」との暖かい言葉に熱く込上げて来るものを感じます。
先週、那須岳に登られた際に携帯電話で撮られた写真を一緒に送って頂きました。
柊さん有難うございます。

第7回バーチャル座談会 移民について語る!!
ブラジルサッカー、カーニバル等をテーマにして日本からも多くの皆さんに参加頂いたバーチャル座談会ですが、今回は、移民について語る!!をテーマに取り上げる事にしました。この移民というテーマは、『私たちの40年!!』の根幹に流れる永遠のテーマであり移民そのものについてその歴史、横の広がり(メキシコ向け榎本移民、ハワイ移民から始まりペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、カナダ等)、日本の皆さんの移民についてのイメージ、感じ方と接触、出稼ぎ現象、実際に移住された方々の証言等広範囲に皆で語り合って見たいと思います。写真は、私たちの乗った41年前に神戸港を出航するあるぜんちな丸第12次航の乗船記念のものです。

『ブラジル移民』 戦後40年の旧トップページの保存(3)。
『私たちの40年!!』HPは、これまでに3000回達成の9月16日と12345回達成の2月22日にトップページを書換え更新しております。今回5月11日の着伯41年記念、『私たちの40年!!』HP公開1周年記念に当たり書き換え更新する事にしました。一つの記録としてこのTOP PAGEを寄稿集に残して置きたいと思います。
ペーパークラフトモデルシップ展示会が大阪の交通科学博物館で6月22日から2ヶ月間開催されるとの事、移民船27隻の勢揃いとの事で考えるだけでもわくわくします。写真は、この展示会に展示されるペーパークラフトモデルシップのあるぜんちな丸です。

ブラジルに花開く詩吟同好会の剣舞。お孫さんが日本の伝統文化を継承。
ブラジル工業移住者協会のホームページNAKAMAの管理責任者吉田文彦さんより詩吟同好会マリンガ清流会創立30周年記念の詩吟発表会についての詳細と86歳になられる窪田博雄さんとその後継者としての16歳のお孫さんエドワルド君について画像掲示板を通じて知らせて呉ました。
清流会を主宰する1930年に愛媛県松山から家族とともに来伯された窪田さんの初期の苦労話には、胸を打たれます。戦前の1移民としての窪田さんは、1930年着伯、ブラジル在住73年のベテラン、現在パラナ州のマリンガ市で清流会を主宰、日本文化の一つ剣舞と詩吟の普及に勤めておられるとの事、お孫さんに継承される日本文化大きく花開いて欲しいですね。吉田さん有難うございます。

ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(1)−(5)前編
ニッケイ新聞では堀江剛史記者を現地ペルーに派遣して南米で最初の日本人移住者を受け入れた国、日本移民の歴史が始まって九一年目の一九九〇年六月、日系二世の大統領、アルベルト・フジモリを誕生させた国ペルーにおける日系コロニアのフジモリ元大統領(現在日本に亡命中)の復帰はありえるのかその待望論と懊悩する日系社会について10回にわたる興味深いレポートを4月23日から5月7日迄連載しています。ブラジル移民より先に始まり1940年に起きた日本人排斥の大暴動を経験したペルー移民の苦労は単に「他山の石」として歴史的事件としてだけでなくブラジルに住む我々にとても大きな意味を持ち、今後のブラジル社会に定着して行く上で参考になる出来事と受け止めたい。写真は、連載第1回目に掲載さえていた首都リマの街角に洗濯鋏で飾られた新聞ニュース一面に踊るフジモリのニュースです。

ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(6)―(10)後編
我々ブラジル移民より9年先輩の1899年に始まったペルー移民の歴史は、平坦なものではなかったことが伺われますが、1国の元首としての大統領を生みだし10年後の現職大統領のままの日本への亡命と数奇の歴史と2006年の次期大統領選挙を前に復帰を願う待望論と目立ちたくない、そっと生きていきたいという多くの日系コロニア人、現地に住まないと味あえない屈折した気持ち等が伝わってくる後編(6)−(10)を掲載して置きます。復帰を願う待望論者と帰って来て欲しくない「2度目はありえない」と明言する否定論者、今後どのような動きがあるのか目を離せない隣国、ペルーの現状です。写真は、最終回に掲載されていたフジモリ大統領の礼服姿をお借りしました。