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日伯交流協会22期生の清水研志君からのお便りの紹介
日伯交流協会(玉井義臣会長)のブラジル研修実習生派遣事業も今年で23年目に入り、現在35名の大学生がブラジル各地で研修しております。日本とブラジルの架け橋的人材の養成事業は、移住という形態による新しい血のブラジルへの導入の道が閉ざされている現在、数少ない日伯の交流の場となっております。日伯交流協会の活動が始まる以前の交通遺児育英会の『研修大学制度』を加えると30年近いお付き合いを玉井会長、藤村理事長(民主党衆議院議員)とお付き合いさせて頂いており将来を担う若人に掛ける変わらぬ愛情、期待、夢を今後とも分かち合って行きたいと思います。
写真は、清水君から手紙と共に送って頂いた帰国報告会の玉井会長を囲んだ記念写真です。尚、この手紙は、現在ポルトアレグレで研修中の23期生、檀野 令奈さんにタイプアップして貰いました。
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早稲田大学海外移住研究会先輩、近藤博之さんからのお便り。
近藤博之さん(政経経済31年卒)1956年着伯は、早稲田大学の海外移住研究会の創設メンバーでもあり私が41年前にサントスに着いた時にはサントスに住んでおられ出迎えて頂きサンパウロの高井先輩(稲門会の責任者)の所まで届けて頂きお世話になりました。
ご子息の利秋さん42歳がパラナ州のポンタグロッサの近くで6月5日夜、交通事故に遭遇、逝去されたとの知らせを受け驚愕しましたが、事故より1ヶ月が過ぎ平常心を取り戻しつつある近藤先輩よりお便りを頂きました。この手紙を一人占めするには余りにも勿体ないとの気持からお電話で手紙の全文を掲載させて頂きブラジル稲門会の仲間、多くの読者に1移民としての試練を乗り越えお孫さんの成長を見届けるために100歳まで生きるとの新たな決意をお伝えすることにしました。
『花一輪 空しく散りし 晩秋の朝』涙なくして読めない句です。
写真は、同封頂いたニッケイ新聞の2002年8月1日の『ブラジル日系3世 ロボット相撲で世界一 出稼ぎ息子快挙! 群馬県太田市の高校生 快さい叫ぶウムアラーマの祖父』等の大きな活字が躍る同封頂いた新聞です。この新聞の内容もタイプアップするつもりです。
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「私たちの40年!!」のHPに学ぶこと
私たちのあるぜんちな丸第12次航より1年早い1961年に始まったブラジル工業者の集まりであるブラジル工業移住者協会は、吉田文彦さんが管理運営している「なかま」というHPを持っておられます。今回その「なかま」のメンバーである栗田 勝利さんから掲示板に投稿頂きました。是非寄稿集の一つに掲載して残して置きたいとの願いから栗田さんにお願いして「なかま」で撮った写真(2003年度の新年会)を送って頂き掲載させて頂く事にしました。時を同じくして「なかま」の管理運営をしておられる吉田文彦さんからも画像掲示板にマリリン・モンローの写真を付けてその撮影舞台となったジャスパー国立公園を訪問された時の事を書き込んで呉れておりますのでこれも一緒に「なかま」からの寄稿として掲載して置きます。写真の前列左端が栗田さんでその右隣のアンダシャツ姿が吉田さんです。
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ブラジル講演会のお知らせ!! (9月4日東京代々木オリピンックセンター)
この度2年振りに訪日します。9月の3週間の訪日になりますが、最後の1週間を完全休暇として7年振りに訪日する妻と九州旅行を楽しむ予定ですが残り2週間は何時もの通り毎日忙しく走り回りますが、9月4日(木)の午後に社団法人 日本ブラジル交流協会主催のビデオと講演の一時を計画しております。
日本ブラジル交流協会から案内書が送られて来ました。第一部に、ブラジル在住の記録映像作家、岡村 淳さんに昨年1月に40年前にアマゾンに降り立った同船者31名のその後の動向を知りたいとの気持ちで訪れた際に撮って頂いた『40年目のビデオレター アマゾン編』のビデオの上映、第2部として『私たちの40年!!』のHPの根幹に流れる戦後移住者の一人としての赤裸々な生活記録、生き様を『遠くて近い国ブラジル』としてこれからブラジルを目指す若い研修生候補、ブラジル研修生OB、多くのブラジルに関心を持たれる皆さんに語り掛けたいと願ってます。
写真は、適当なものが見つかりませんので7年前に高知市のJETRO、メンバーズ講演会の際の写真が見つかりましたので使用して置きます。
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旧神戸移住センター 「海外日系人会館」に 神戸新聞7月25日朝刊より
あるぜんちな丸第12次航の私たちをブラジルに運んで下さった当時の二等航海士の吉川 誠治さん(神戸市在住)から『本日の神戸新聞に移住センターに関し添付ファイルの記事が掲載されていましたので送ります。』とのメールと共に記事の写真を頂きました。吉川さんいつも私たちを見守って下さり有難うございます。今回訪日の機会が有りますので神戸在住の当時の二等機関士高根 健次郎さん、次席事務員の
広野信行さん他にお礼を述べると共に当時の話、その後の人生等に付いて語り合えればと楽しみにしております。今後とも宜しくお願いします。
現在、財団法人日伯協会参与で国立海外日系人会館推進協議会事務局長の黒田 公男氏が藤本副知事と共に来伯されておりニッケイ新聞の7月26日付けでも関連記事が掲載されておりますので転載させて頂きます。
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ブラジル通信(1)
日本のハッピーシニアライフネット(埼玉の柿沼 實さん主宰)に桐井 加米彦さんの紹介で参加させて頂きましたが400名に近いメンバーが、種々意見を交わしあう活発なメーリングリストです。このうち現在25名の方が来年の4月にブラジルオフ会を実施する事を目的に各種意見交換、手作りのブラジルの旅(ブエノスアイレスも入れる案も検討中)を計画中で地元民として嬉しく思っておりますが、皆さんの関心事は、矢張り治安問題、為替の行方、実際の訪問先情報(イグアス、ポルトアレグレ、リオ等)が中心となりますが不定期でこれらの情報をメンバーの皆さんに伝えて行きたいと願っており今後ブラジル通信として伝えて行く事にしました。第一回目は、為替の動きを中心とした最近のブラジル経済の情報です。
写真は、ポルトアレグレ近郊の避暑地で紫陽花の町として有名なグラマード(1泊予定)の冬の景色です。8月3日(日)に撮ったものです。LAGO NEGRO(黒い湖)には紫陽花はありませんでしたがツツジが咲いていました。
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戦後移住50周年記念式典(画像掲示板より転載)
2003年7月26日にサンパウロ州議事堂記念ホールで開催された戦後移住50周年記念式典については、中沢実行委員長始め戦後移住者の諸団体の代表者とそのメンバーを糾合して盛大に行われ、5年後に迫るブラジル移民100周年祭への助走と本番への準備を見事に果たし心強い手応えを感じさせ、『戦後移住者ここにあり』の心意気を示しブラジル移民100周年祭の推進者としてのスタンスをブラジル日系コロニア内で得ることが出来た。まだ残されている写真を中心とした戦後移住50年記念誌の発行事業、5年後には日本の国花さくらとブラジルの国花イッペーの花の名所を各地に造成する計画を進めており戦後移住50周年記念事業を成功させたその団結と実行力を維持、拡大することによりブラジル移民100周年祭への弾みとしてそのエネルギを集結して行って欲しいと願うのは私だけではないと確信します。
写真は、戦後移住50周年記念式典のプログラムです。写真、記事等を寄せて頂いた大西悦雄委員にお礼を述べさせて頂きます。
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『日本は不景気とはいえません』(画像掲示板よりの転載)
バーチャル座談会は、暫く休眠状態でお休みしていますが、画像掲示板を通じて日伯間の特定な話題の遣り取りが続きいきおいバーチャル座談会の雰囲気を醸す場合があります。訪日した山下さんの帰国感想のコメント『日本は不景気とはいえません』に対して日本の皆さんからコメント、感想が寄せられ連日話題で賑わいました。バーチャル座談会のミニ版として纏めて寄稿集に掲載し残して置くことにしました。
写真は、山下さんが住んでいる観光都市リオの絵葉書をお借りしました。
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