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桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その5-その8)
桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』の第2弾(その5−その8)を40年‼寄稿集に収録して置きます。40年‼寄稿集は、着伯40周年の集いと共に開設しこの5月11日で15年経過、その間457万回のアクセスを記録しており桜井さんの寄稿もアクセス数増に大いに貢献して頂いており感謝しております。桜井さんのようにブラジル始めチリ―、イタリア他に駐在しJETROの職員として日夜任地で活躍した経験を総合的に綴り後から来る人達にその貴重な経験を書き残す作業をしておられるのに頭が下がります。これからも継続して日本ブラジル中央協会常務理事として機関紙に寄稿を続けられるそうですのでBLOGに掲載し4回分づつをこのホームページに残して行く事にしております。
写真は、新しい近影も送って頂いているのですが、敢えて勤務地だったサンパウロのテアトロ ムニシパルの写真をお借りして掲載することにしました。
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しゅくこさんとの対話を通じての古谷敬冶さんの『青春日記』(前編)
しゅくこさんのメーリングリストへの書き込みに誘い込まれ何時もの硬い文面と話題と似つかわしくない赤裸々な人間味あふれる古谷さんの『青春日記』と題する書き込みが人気を得てしゅくこさん以外の読者仲間のコメントも寄せられ息の長い連載となり40年‼寄稿集には、2回位で収まるかと思って居たら2万5千語以上に達し前編、中編、後編の3回に分けて掲載することになりました。
青春時代の写真をお願いしたら度重なる引っ越しで見当たらないとの事であっと驚く為五郎的な昨年撮られた若い奥さんとの写真を送って呉れました。
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しゅくこさんとの対話を通じての古谷敬冶さんの『青春日記』(中編)
好評のしゅくこさんと古谷さんの『青春日記』を巡る会話は、佳境に入り2回で終了しないようで後編として第3部も掲載することにしました。今回は、丸木さん、藤沢さん、山下さんの手拍子、足拍子も加わり賑わっています。古谷さんの幼稚園、小学校1年生の頃から大学受験、大学時代、商社マンとしての中米駐在時の話まで飛び出しメーリングリスト50年‼の皆さんを喜ばせています。丸木さんが云われるようにしゅくこさんの話を引き出す絶妙のコメントは、さすが作家、写真家、馬の調教師の技のなすところです。しゅくこさんが1962年8月にアメリカ留学時に乗ったあるぜんちな丸の写真を今回は使わせて貰う事にしました。
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しゅくこさんとの対話を通じての古谷敬冶さんの『青春日記』(後編)
古谷さんの『青春日記』は、当初前、後編の2回程度を想定していましたが、ご本人の努力としゅくこさんの聞き上手、周りの人の声援に答え3部作に編成し直しましたが、未だに継続して行く気配がありますが、一応3部作の最終『後編』としてまとめました。今回は、番外編、13話―15話を収録しました。青春から商社駐在員としての実体験に基づいたお話は、多くのメンバーの注目を浴び五十嵐さんからは出版まで進められています。今後も続くようであれば番外編として収録も検討する必要が出て来たようです。
しゅくこさんから素敵な写真を沢山送って頂いているのですが、やはりご本人から送られて来た奥様とのツショットの1枚を使うことにしました。
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≪身の上話≫ ポルトアレグレ近郊にお住いの藤沢晴巳さんのお便りです。
ヤフーのメーリングリストは、廃止と共にデーターを失ってしまいましたが、2014年2月17日に開設した『私たちの50年‼』のメーリングリストは、3年5ヵ月で31102件の書き込みがあり平均1日25件のメールが飛び交っています。現在332名のメンバーが登録されており13人に一人は、毎日何かの発信をしている計算になります。話題は、多種に渡り退屈しませんが、そんな中で管理運営者として一番嬉しいのは、今回の藤沢さんのような身近な話題をすんなりと開陳される話題です。奥様のエステルさんのご家族を愛情を持って語っておられる話は、機会があったのにわが父、義母との対話を逃してしまった私の取り返しが付かない怠慢さを知らせて呉れました。
460万回のアクセスを控えた『私たちの40年‼』あるぜんちな丸同船者寄稿集に残して置きたいと思います。
写真は、藤沢さんのお宝とも云える貴重な写真の一枚を使わせて頂きました。
真ん中で立っているのが3歳の頃の奥さんエステールさんです。
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新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その9−その13)
週1度の間隔で桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』を50年‼のBLOGに掲載させて頂いていますが、今回は、その9からその13までを纏めて40年‼ホームページの寄稿集に掲載し残して置くことにしました。今回は、ブラジルでうまく取材するには、サンパウロでサッカー見学の際に心得るべきこと、文化協会に置けるセミナーとかノウハウ物から万国博とブラジル、ロータリクラブで学んだこと等ご自分の実体験に基付いた貴重な話満載です。ブラジルに長く住む者にはうんうんと頷くことが多くこれからブラジルで生活する者にとっては直ぐに役に立つブラジル入門書になるでしょう。参考にして生かして頂けると筆者の望外の喜びでしょう。
写真は、どれにしようかと迷ったのですが、ブラジルと云えばサッカー、桜井さんが観戦時に撮られたモルビーサッカー場の写真を使わせて貰いました。
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『ブラジル戦後移民』 54年の記録 旧ホームページの保存(45)
2017年4月17日に450万回を記録しTOP PAGEの一部を書き換えましたが、今週末の12日か13日には460万回を記録する予定で一足先に現在のTOP PAGEを保存して置くことにしました。2002年5月11日に開設、公開して実に15年3ヵ月になります。その間、460万回のアクセス、5565日が経過していることから1日平均826回のアクセスがあったことになります。今回の10万回は、117日で達成することになりますが、1日平均854回と最近の1日1000回アクセスよりスローダウンしており新しい更新に努力する必要がありそうです。
今回、使用写真は、2014年の12月4日に更新した360万回の時に使用した生まれたての3人目の孫、洋君と一緒に泣いている?おじちゃんの写真を使用しており2年8ヵ月で丁度100万回(1日平均1019回)に達したので今回も成長した洋君と一緒の写真を使う事にしました。おじちゃんのHPが100万回アクセスするうちに洋君もこんなに大きくなりました。3年後の560万回のアクセスにはまた一緒の写真を掲載したいです。
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『安住の地トロント』丸木さんのバンクーバ―新報紙に掲載された半世紀に渡る半生記。
丸木さんが バンクーバ―新報紙に8月24日に掲載された『新移民法施行五十周年に寄せて』と云う寄稿が波乱万丈の丸木さんの移民人生50年をダブらせた1800字に凝縮された分かり易い丸木さんの半世紀を40年‼寄稿集に残して置くことにしました。ブラジル移住3年の経験がその後の人生に大きく影響しアメリカ不法滞在、カナダ移住、日本勤務等自伝「繁田一家の残党」全13巻に詳細が記述されているようですが、この投稿記事で総ての丸木節のベースが理解できる好読み物となっています。80を越して未だ水泳世界1を目指す永遠の青春を追い求める怪物丸木の面目躍如、これで怪物丸木の総てが分る貴重な新聞記事です。2021年まで生きていたら丸木さんが泳ぐ神戸、福岡まで応援に行きたいと思って居るが、さて生きて居れるかどうか?
写真は、ブラジル生活3年の最大の収穫?奥さんマリアさんとの近影を送って貰いました。
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