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和田君のオオム
あるぜんちな丸第12次航で最初にブラジルに来た時にゴヤスの田舎町でブラジル国歌を歌うとの触れ込みで番のオオムを押し付けられて買い取った。2年間の滞在予定の終わりの頃で日本に持ち帰る積りだったのかも知れない。幾ら払ったのかは、覚えはないが貧乏学生が買える程だったので大した金額ではなかったのではないかと思う。背広の両側の肩にちょんと乗ってバナナをやりながらバスで一緒に旅をしたので背広は糞だらけで使い物に成らなくなって捨てたのを覚えている。サンパウロに辿り着いて神戸高校の西先輩や山下君が住んでいる下宿に預ける事になった。その当時の事をリオ在住の山下君が書き送って呉れた。付き合い切れなくなって1羽が死んだのを機に早稲田の高井先輩の所に持ち込んだようです。
学生の頃から大変お世話になっていた高井先輩も亡くなられて久しい。オオムのその後を知りたくてメールを出したところ高井夫人からオオムは、今も元気であるとのお便りを頂きました。忘れていた昔の話、青春への邂逅、オオムを通じて往時が偲べることの不思議さを噛締めています。
先日サンパウロに出た時に高井先輩のお宅を訪ねました。生憎高井夫人は不在でしたがオオムには再会する事が出来、元気にしゃべり、哄笑していました。40数年の風雪堪えた姿は貫禄があり年齢を感じさせました。本当に何年ぐらい生きているのでしょうかね。話題の主人公和田君のオオムの撮らせて頂いた近影です。


肉親の安否を求めて  一縷の望みをつなぐ甥  富山の樫木さん一家の消息を(6月6日付けサンパウロ新聞記事より)
樫木健一さんのブラジルにいる従兄弟達の消息を尋ねるサンパウロ新聞の尋ね人記事に付いての反響は、吉田文彦さんがインタネットによる検索で樫木モニカさんという歯科医の修士課程論文から見付け出しブラジルの樫木の家計図まで作成して呉れました。樫木健一さんの従姉妹にあたる遠藤千鶴さんに12月3日にサンパウロでお会いする機会がもてました。下記内容の報告書を樫木健一さんに書いて送ってあげましたがサンパウロ新聞にも御礼も兼ねて後日談として送っておく事にしました。
写真は、遠藤千鶴さんよりお借りした総てブラジル生まれの樫木健一さんの4人の従姉妹です。千鶴さんは、出来ればご主人の遠藤秀雄さん(80歳)とご一緒に訪日を考えたいとの気持を持ち始めており東京での樫木健一さんとの対面を楽しみにしているとの事で是非実現すればと願っています。
写真は、樫木健一さんのブラジルに在住されている従姉妹4人のお写真です。左から幸子さん、弘子さん、敏子さん、千鶴さんです。

早稲田大学海外移住研究会近藤博之先輩よりお便りを頂きました。
近藤先輩には、1962年5月11日にサントス到着の日に港でお会いしたブラジルに置ける最初の先輩として私に取っても大事な方です。当時近藤さんは、サントスのゴンザガ海岸でサウナ風呂を奥様と一緒に遣っておられ一度そのサウナ風呂にお世話になった事があります。呼寄せ移住とは言え名義貸しの呼寄せでカッポン・ボニートという町に農場を持っておられた山本勝三さんの呼寄状にお世話になり東京都の農業移住者として上陸したものの行く先もなく近藤さんにサントスからサンパウロまで送って頂きました。オームを預かって頂いた高井義信先輩のお宅に転げ込みお世話になりました。その後も2年間の放浪の旅の間中サンパウロに戻れば高井邸にお世話になり故小渕恵三元首相とも高井さんのお宅で一緒にお世話に成った時期もあり思い出深い2年間でした。
近藤先輩は、その後サンタカタリーナに早稲田林檎村建設計画を実施したり一時日本にも帰っておられましたが、長男の利秋君と一緒にブラジルで余生を送るためにブラジルに戻っておられましたがこのHPの寄稿集何番目でもお知らせしている通りご子息利秋君を今年の6月6日に交通事故で亡くしておられますが、お便りではお元気に日常生活を過しておられるとのこと是非皆さんにもお伝えしたく掲載させて頂きました。
適当な写真が見つかりませんので近藤さんが住んでおられたサントスのゴンザガ海浜に建つ移民到着の碑を使用させて頂きました。

沢田 啓明さんのサッカーコラム復活!!
毎週、スポーツ報知に掲載しておられたサッカーコラムが7月末で打ち切られサッカーフアンには寂しい思いをしておりましたが今回沢田さんが書いておられるブラジル・サイトから許可を頂いて月に2度のペースで華麗な沢田さんのサッカー談義、コメントを掲載させて頂く事になりました。沢田さんとブラジル・サイトに感謝します。
沢田さんから次のコメントと共に12月8日掲載文を送って頂きました。今後継続して掲載させて頂きます。
写真は、クルゼイロのHPよりお借りしたブラジルチャンピオンのPRです。

サッカーの記事を、ということですが、「ブラジル・サイト」というブラジルを紹介する日本語HPに今年の初めから毎月2回ほどの割合でサッカーコラムを書いており、このほど、「記事の下に『提供:「ブラジル・サイト」http://www.brazil.ne.jp 』と明記してもらえるのであれば」という条件で、貴HPへの転載を承諾してもらいました。
ついては、とりあえず、最新のコラム(12月8日掲載)をお送りします。
ご希望であれば、今後も更新の度にコラムをお送りします。

クリスマスおめでとう御座います!!
私たちの40年!!HPにそぐわない感もありますが、このHPの管理運営者としての私のもう一つの顔と言うか、本業と言うか日常の生活の経済面を支えているささやかなファミリー会社【さわやか商会】の代表として毎年クリスマスにその年を振り返り簡単な挨拶状を関係者に送っておりますが、今年はその挨拶状をこのHPの寄稿集にも掲載する事にしました。それはこのHPが私の生活の中において大きな位置を占めさわやか商会の繁栄がこのHPを支えこのHPがさわやか商会を支えると言った相関関係と言うか切り離せない所まで日常生活でも混沌として来ている現われで本業の仕事の合間にHPの管理運営をして行くと言った立場からHPへの愛着、思いが仕事を支え活力の源となって来ているような気がするのです。HPの継続の源もさわやか商会と言えそうです。
写真は、さわやか商会の事務所のドアの看板です。

【今の自分があるのは周りの支えがあってこそ!!】南日本新聞(鹿児島市)の記事より転載
鹿児島市在住のメール友だちの下村 敏子さんより地元鹿児島の南日本新聞に掲載された鹿児島県出身の同船者園田 昭憲さんに付いての記事を見つけてDMで知らせてくれました。自分からは、殆ど語らない園田さんですが、今回お兄さんが亡くなられたとの事で12月初旬より往復10日以下の慌しい訪日をパラグアイに住むお二人の兄弟と共に故郷に帰っておられましたがその時に取材を受けたようです。まるこ(下村 敏子)さんご協力有難う御座います。
園田さんに付いては、寄稿集第179番目 【同船者園田昭憲さんの辿った道程】との題名で紹介しておりますのでそちらの方もご覧下さい。自分の若い頃に重ね合わせて故郷鹿児島の若者を5年間で10人育てると言う計画、ブラジル大好き人間、ブラジルと日本を繋ぐスケールの大きな人材が育つ事を願っております。
写真は、年末の同船者忘年会で撮らせて頂いたスナップです。

HSLN主催のブラジルオフ会実施とスケジュール案を発表
HSLN(ハッピ・シニア・ライフ・ネット)柿沼 實さん主宰のMLは、現在実質401名の会員を誇り過去に海外でのオフ会としてペナンオフ会を開催しており、常時東京、関西、廣島、九州当でもオフ会を開催しております。今回、2004年4月16日(金)成田発で約2週間のブラジルオフ会開催を目指して具体的なスケジュール、予算を取る段階に入っており、現在八名の参加者が決定しているようですが、『私たちの40年!!』HP関係者の中にも機会があれば是非ブラジル訪問を視野に入れておられる方が多々いると思いますので是非この日程でHSLNの皆さん(殆どがシニアー)とご一緒に来伯される可能性を検討して見て頂きたくブラジルオフ会の日程案を下記して置きます。
コンセプトは、イグアスの滝で3泊、ポルトアレグレで3泊、リオ3泊、サンパウロ1泊とゆったりした日程とオプシオンとしてブエノス・アイレスにタンゴを聞きに行く可能性も含まれています。これから経費等の最終見積をTUNIBRA社にお願いする事になりますが、参加希望者を募っている段階です。
写真は、HSLNの9月3日東京で行われた和田歓迎オフ会での記念写真です。

臣道聯盟 移民空白時代と同胞社会の混乱 宮尾 進 著作
ブラジル日本移民百周年記念「人文研研究叢書」第2号としてこの程、宮尾 進 先生の臣道聯盟 移民空白時代と同胞社会の混乱 −臣道聯盟事件を中心に−が刊行された。サンパウロの本屋さんでこの書を求めた日にイグアッペ街を歩いておられた宮尾先生にばったりお会いした。1930年ブラジル生れ1939年日本へ渡る1953年信州大学文理学部人文化学科哲学科卒業1953年ブラジルへ帰る1954年−56年サンパウロ女学院教師1956年−80年「農業と共同」誌(コチア組合刊)「ブラジルの農業」誌(コペラソン出版刊)編集長1965年サンパウロ人文科学研究所創立に参加1965年−82年同理事1982年−91年同事務局長1991年−2002年同所長の経歴から見ても殆どの生涯を人文科学研究におけるニッケイコロニアに付いての研究に携わって来ておられその道の権威者として高く評価されており、シリーズ第1号の「ボーダレスになる日系人」(寄稿集183番目に掲載)に次いでの第2弾である。
写真は、同書の表紙です。

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